回顧・オソルノ

2017年5月16日(火)

テムコからオソルノという町へ3時間半かけてバスで移動する。

予約した民宿は町外れの住宅街にあり、歩いて行ける範囲にはレストランも市場もない。

今日は朝から雨で気温もかなり低く、とても外へ出かける気分にはなれない。

おばあちゃんがオーナーの民宿は4部屋ほどしかない。

薪ストーブで暖房された食堂で、

ビジネス客と思われる3人とおばちゃんが作った夕食をとった。

チェックインしてからどこへも出かけることなく、部屋で本を読んで過ごした。

ここで2泊する予定で来たが、1泊だけすることにした。

明日はチリからアルゼンチンへ陸路で国境を越え、バリローチェの町へ向かう。

回顧・コピアポのBBQ

5月6日(土)

アントファガスタからコピアポへ、8時間のバス移動。

疲れた。

でもホテルには今回の旅行で始めての浴槽付きでした。



アントファガスタには良い思い出はない。

朝早く起きて、タクシーを拾ってあのバスターミナルへ行く。


アンタファガスタは港町だが、バスは太平洋に沿った海岸ではなく、

はげ山と砂漠の続く道を延々と走り続けた。

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チリは北から南までの総距離が4,630キロある。

これはロシアのシベリアから中国の南端にまで到達する距離だ。

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チリの南端はパタゴニアと呼ばれる氷河に囲まれた地域で、

その先は、マゼラン海峡をはさんで南極大陸だ。

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ボリビアからチリの北端の町カラマに入り、

そこからまだ500キロほどしか南下していない。


午後3時にコピアポの町に着いた。

昨日のショックからまだ立ち直りはできていない。

だから町の写真を撮る気分になれず、

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町中でありついた屋台のBBQの写真だけだ。

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レストランで食べる肉も美味しいのだろうが、

その場で熱々の肉を食べるほうが、もっと美味しいし性に合っている。

しかも安い。

今記憶をたどっても、浴槽付きの部屋も、

この町でなにをしたのかも思い出せない。

思い出すのは写真に残したBBQだけだ。



インスブルックからアルプスへ


2017年24日(木)

インスブルック、列車に乗る前のわずかな時間を使って早朝散歩。


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「黄金の小屋根」と呼ばれるインスブルック市民が大切にしている場所は、

オーストリア皇帝専用の観覧席で、数千枚の金箔をバルコニーの屋根に貼られたために

この名前がついたらしい。

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皇帝は目の前にある広場で行われた騎士の馬上試合を観覧した。


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こちらは宮廷教会。

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インスブルック駅から、


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あわただしくオーストリア鉄道QBBで、


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チューリッヒ湖を車窓から眺めながら鉄道の旅。

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突然に、これは何?

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これは向かい合った4人席の向かいに座ったK先生を紹介した新聞記事だ。

しかも40年以上前らしい。

実はこの先生、インスブルックからずっと一緒だった。

甲府にある公立大学で運動学の講座を持っていた先生で、柔道家でもある。

過去に文部省から派遣され、インスブルックの大学で教鞭をとり、

柔道場の手伝いをした関係から、引退した今でも柔道場で教えているらしい。

インスブルックに滞在するのは7月末から8月末までの1か月だけ。

話を聞くとなんともうらやましい生活をされておられる。

今日はチューリッヒに1泊旅行に出かける列車で、たまたまご一緒させてもらった。

Ray次郎より4つ年上、柏崎出身で今は東京在住。

オーストリア情報、柔ちゃんのトレーナーを育てた話、

柏崎のお寿司屋さんの寿司がいかに美味しいか、

ロシアのプーチン大統領と柔道の国際試合の会場トイレで会話したこと、

関連して北方領土の話、

国際試合の審判に賄賂が渡される話、

舛添元都知事の公金の使い方の是非、

などなど話が尽きない。

チューリッヒまでの3時間は先生の独壇場だった。



チューリッヒからベルン、ベルンからアルプスのベース基地インターラーケン、

インターラーケンからさらに標高1000メートルのグリンデルワルトまで乗り継ぎしながら

たどり着いたときはあいにくの雨だった。


今日の宿はアパートタイプのシャーレーシュピルタット、レセプションはない。

オーナーの携帯電話に到着時間を知らせるべく何回も電話を入れたが、

留守電になっていたので到着時間をメッセージを残した。

キーを受け取れないかもしれないという不安があったが、

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オーナーにも会えたし、キーももらえた。

スペインのポルトではアパートタイプの宿で入り口の暗唱番号を入手できず、

結局泊まることができず、他のホテルに飛び込みで入った。

その不安があったので、雨の中アパートに入れた時は安堵した。

スーパーで食材を買い、ビールを飲んでようやくひとごごちした。


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食後ベランダから山を眺めて、明日はそこへ行くよと約束して、ビールを飲んだ。

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古都ポールヴオーをまち歩き

2017年8月15日(火)

ホステルの朝食を今日もたっぷりといただきました。昨日とおなじメニュー、卵焼きもふたつ。

スメリンオンナの島からフェリーに乗ってまたヘルシンキに戻った。

宿は3日前と同じユーロホステルだ。

市内中心にある中央バスターミナルからバスに乗り、古都ポールヴオーを目指す。

乗車時間は1時間だ。

フィンランドはさすがIT立国と言われるだけあって、長距離バスの中でフリーWiFiを使える。

電源口も各シートの下か頭の上にある。

これはバスだけではなく、長距離列車から駅構内、デパート、レストラン、

本屋さんにいたるまでフリーWiFiを使える。


ポールヴオーの停留所に着き、まず観光マップをゲット。

中国語と日本語併記のマップを手に持ち、まち歩きを開始する。

ポールヴオー川に並んでいるカフェのひとつに寄って地ビールを飲む。

ひとり旅は誰の制約も受けずに、自分ひとりの気分で行動できる。

同行する人がいれば会話もできるし、感動も分かちあえるが、

別行動を取らないかぎり、その人の意向を聞かなければ次の行動に移れない。

実は、その同行者1名がもうすぐ日本からヨーロッパにやって来て合流することになっている。

さらに実は、、、、

オロナイン放浪記の前身のブログ『正露丸放浪記』の2月19日付け

『欧州クラブ発足』の記事、

『2名は8月中旬から9月中旬までの1か月、

さらに2名が9月初旬から中旬までの半月間、欧州の旅に加わることになった』

とあるように、最初に合流するのは男女各1名の2名の予定だった。

ところが男性の義弟が癌で急逝するという不幸があり、

合流時期が8月中旬ではなく9月初旬に変更になった。

結果、8月中旬合流は女性1名、9月初旬合流が男性1名女性2名になった。

それはさておいて、まだあと2日間はRay次郎はひとり旅。


銘柄を「ひとりきまま」と命名した地ビールを時間をかけて飲んだ後、

マップには『珠玉のレストラン』、『魅力のショッピング』と、この町をアピールしているが、

Ray次郎には全く興味がないので、推奨されているルートにしたがって歩き始めた。

13世紀にスウェーデン国王が設立したフィンランドで2番めに古い町を流れるポールヴオー川、

その川に沿って並ぶ木造家屋と、旧市街のパステルカラーの家並みが、

観光客を多く引き寄せるスポットだ。

赤く塗られた板壁は縦縞に張られた建物と横縞の建物があり、

切妻の屋根は一様に黒く塗られている。

建物の入口が川に向かっているのは、

ここが、かって船から荷物の積み降ろしをした倉庫であることを物語っている。

旧市街は石畳の路の両側に、1階建のこじんまりした木造の家々が、

パステルカラーの色とりどりに並んでいる。

フィンランド最古の旧市庁舎の前を通り、教会にたどりついた。

小さな町なので歩き始めてから30分もたっていない。

鐘楼と教会が離れて建てられており、教会のほうに入ると、

正面のキリスト像がかかげられた祭壇で平服の牧師がひとり立ち、

その前にこれも平服の男女が一組、両脇にその友達が4、5人ずつ並んでいた。

結婚式の平服版か?

牧師が語る言葉にみんなが笑ったり、

言い返す花婿?の言葉にまたみんなが笑っていた。

なんかいい雰囲気でセレモニーらしきものが進んでいった。


教会を最後にまち歩きを終了。

旧市街の石畳の路をあっちこっちと巡って歩き、バス停留所に戻った。

北欧を巡る旅は21日間にわたったが、今日でスカンジナビア半島とはお別れ、

明日は エジプトから最初にヨーロッパに着いた町、ドイツのフランクフルトに飛ぶ。

スメリンオンナの残りの3島を歩く

2017年8月14日(月)

ホステル スメリンオンナは朝食付き。

ブレットにバターをぬり、ハムとチーズをのせる。

トマトにキユーリ、オレンジジュース、コーヒーにイチゴヨーグルト、

ここまでがフリーチャージ。

昨日買っておいた卵をふたつ、目玉焼きにしていただく。完璧なブレツクフアストだ。

いつも昼飯は抜いているので、完璧な朝食を取れるのは、助かる。



さて、博物館を後にしてふたつめの島にわたる。

50メートルほどの長さの潜水艦が海辺に停泊していた。

『SOTAMUSEO』と掲示されていた。

ガイドブックの地図には『潜水艦ヴッシコ号』と記載されている。

『MUSEO』は英語で博物館の意味の『Museum』であることは想像できる。

孫の名前と同じ『SOTA』って何だ?

潜水艦の入口でチケットを売っていたお姉ちゃんに聞いた。

フィンランド語で『SOTA』は英語では『WAR』の意味だそうだ。

正式には『戦争博物館』ということになる。

孫の名前がフィンランド語で戦争とは、、。

潜水艦の中は何人もはいれないほど狭い。おそらく乗員は3人がマックスだろう。



ゆるやかな坂を上り砲台が設置されている丘に立つと、

背後のヘルシンキの町を守るように砲筒が外海に向けられていた。

しかし、先ほどの上映では砲弾の距離が、大挙してやってきたロシア艦隊には届かず、

逆に艦隊からの砲弾はやすやすとスメリンオンナの砲台に届いたため、

要塞が陥落してしまったと解説していた。

まるで今読んでいる『竜馬がゆく』の一場面とだぶる。

尊皇じよう夷熱に沸騰していた長洲藩は、下関沖を通過する外国船に砲弾を浴びせようとしたが、

一隻も撃沈することかなわず、逆に自陣の砲台をいとも簡単に攻撃された。

テクノロジーの先端を行く者がいつの世でも勝者になるのが時の常と言うことか。

この丘にも、今世界の観光地を席巻している中国人団体客が写真を撮っていた。



この島には現在700名の住人がいるが、要塞を築いていた当時は、

スウェーデンから来た軍人、技術者が家族を伴って住み、工人も含めると7000人の住人がいた。

とうぜん何百棟もの住居があつたし、

働く場所として工作機械工場、レンガ工場、造船所もあった。

造船所のドッグは今でも現役で、木造船の修理や新造に使われている。



フェリー船着場まで戻り、残るふたつの島にわたったが、

これといった見るべき建物はなく、自転車がいっぱい置かれた3階建のアパートと

あとは周囲の丘に見張り台らしき石の遺跡があるだけだった。