古都ポールヴオーをまち歩き

2017年8月15日(火)

ホステルの朝食を今日もたっぷりといただきました。昨日とおなじメニュー、卵焼きもふたつ。

スメリンオンナの島からフェリーに乗ってまたヘルシンキに戻った。

宿は3日前と同じユーロホステルだ。

市内中心にある中央バスターミナルからバスに乗り、古都ポールヴオーを目指す。

乗車時間は1時間だ。

フィンランドはさすがIT立国と言われるだけあって、長距離バスの中でフリーWiFiを使える。

電源口も各シートの下か頭の上にある。

これはバスだけではなく、長距離列車から駅構内、デパート、レストラン、

本屋さんにいたるまでフリーWiFiを使える。


ポールヴオーの停留所に着き、まず観光マップをゲット。

中国語と日本語併記のマップを手に持ち、まち歩きを開始する。

ポールヴオー川に並んでいるカフェのひとつに寄って地ビールを飲む。

ひとり旅は誰の制約も受けずに、自分ひとりの気分で行動できる。

同行する人がいれば会話もできるし、感動も分かちあえるが、

別行動を取らないかぎり、その人の意向を聞かなければ次の行動に移れない。

実は、その同行者1名がもうすぐ日本からヨーロッパにやって来て合流することになっている。

さらに実は、、、、

オロナイン放浪記の前身のブログ『正露丸放浪記』の2月19日付け

『欧州クラブ発足』の記事、

『2名は8月中旬から9月中旬までの1か月、

さらに2名が9月初旬から中旬までの半月間、欧州の旅に加わることになった』

とあるように、最初に合流するのは男女各1名の2名の予定だった。

ところが男性の義弟が癌で急逝するという不幸があり、

合流時期が8月中旬ではなく9月初旬に変更になった。

結果、8月中旬合流は女性1名、9月初旬合流が男性1名女性2名になった。

それはさておいて、まだあと2日間はRay次郎はひとり旅。


銘柄を「ひとりきまま」と命名した地ビールを時間をかけて飲んだ後、

マップには『珠玉のレストラン』、『魅力のショッピング』と、この町をアピールしているが、

Ray次郎には全く興味がないので、推奨されているルートにしたがって歩き始めた。

13世紀にスウェーデン国王が設立したフィンランドで2番めに古い町を流れるポールヴオー川、

その川に沿って並ぶ木造家屋と、旧市街のパステルカラーの家並みが、

観光客を多く引き寄せるスポットだ。

赤く塗られた板壁は縦縞に張られた建物と横縞の建物があり、

切妻の屋根は一様に黒く塗られている。

建物の入口が川に向かっているのは、

ここが、かって船から荷物の積み降ろしをした倉庫であることを物語っている。

旧市街は石畳の路の両側に、1階建のこじんまりした木造の家々が、

パステルカラーの色とりどりに並んでいる。

フィンランド最古の旧市庁舎の前を通り、教会にたどりついた。

小さな町なので歩き始めてから30分もたっていない。

鐘楼と教会が離れて建てられており、教会のほうに入ると、

正面のキリスト像がかかげられた祭壇で平服の牧師がひとり立ち、

その前にこれも平服の男女が一組、両脇にその友達が4、5人ずつ並んでいた。

結婚式の平服版か?

牧師が語る言葉にみんなが笑ったり、

言い返す花婿?の言葉にまたみんなが笑っていた。

なんかいい雰囲気でセレモニーらしきものが進んでいった。


教会を最後にまち歩きを終了。

旧市街の石畳の路をあっちこっちと巡って歩き、バス停留所に戻った。

北欧を巡る旅は21日間にわたったが、今日でスカンジナビア半島とはお別れ、

明日は エジプトから最初にヨーロッパに着いた町、ドイツのフランクフルトに飛ぶ。

スメリンオンナの残りの3島を歩く

2017年8月14日(月)

ホステル スメリンオンナは朝食付き。

ブレットにバターをぬり、ハムとチーズをのせる。

トマトにキユーリ、オレンジジュース、コーヒーにイチゴヨーグルト、

ここまでがフリーチャージ。

昨日買っておいた卵をふたつ、目玉焼きにしていただく。完璧なブレツクフアストだ。

いつも昼飯は抜いているので、完璧な朝食を取れるのは、助かる。



さて、博物館を後にしてふたつめの島にわたる。

50メートルほどの長さの潜水艦が海辺に停泊していた。

『SOTAMUSEO』と掲示されていた。

ガイドブックの地図には『潜水艦ヴッシコ号』と記載されている。

『MUSEO』は英語で博物館の意味の『Museum』であることは想像できる。

孫の名前と同じ『SOTA』って何だ?

潜水艦の入口でチケットを売っていたお姉ちゃんに聞いた。

フィンランド語で『SOTA』は英語では『WAR』の意味だそうだ。

正式には『戦争博物館』ということになる。

孫の名前がフィンランド語で戦争とは、、。

潜水艦の中は何人もはいれないほど狭い。おそらく乗員は3人がマックスだろう。



ゆるやかな坂を上り砲台が設置されている丘に立つと、

背後のヘルシンキの町を守るように砲筒が外海に向けられていた。

しかし、先ほどの上映では砲弾の距離が、大挙してやってきたロシア艦隊には届かず、

逆に艦隊からの砲弾はやすやすとスメリンオンナの砲台に届いたため、

要塞が陥落してしまったと解説していた。

まるで今読んでいる『竜馬がゆく』の一場面とだぶる。

尊皇じよう夷熱に沸騰していた長洲藩は、下関沖を通過する外国船に砲弾を浴びせようとしたが、

一隻も撃沈することかなわず、逆に自陣の砲台をいとも簡単に攻撃された。

テクノロジーの先端を行く者がいつの世でも勝者になるのが時の常と言うことか。

この丘にも、今世界の観光地を席巻している中国人団体客が写真を撮っていた。



この島には現在700名の住人がいるが、要塞を築いていた当時は、

スウェーデンから来た軍人、技術者が家族を伴って住み、工人も含めると7000人の住人がいた。

とうぜん何百棟もの住居があつたし、

働く場所として工作機械工場、レンガ工場、造船所もあった。

造船所のドッグは今でも現役で、木造船の修理や新造に使われている。



フェリー船着場まで戻り、残るふたつの島にわたったが、

これといった見るべき建物はなく、自転車がいっぱい置かれた3階建のアパートと

あとは周囲の丘に見張り台らしき石の遺跡があるだけだった。

要塞が歴史を語る

2017年8月14日(月)

スオメンリンナの島を歩き始めた。

すぐ島のどこにいても目印になるだろうと思われる高い建物が現れる。

スメリンオンナ教会。形から推察するに、これはロシア正教の教会だ。

丸い小石をしきつめた石畳を赤レンガの塀沿いに10分ほど歩いていくと、

隣の島へ渡る白い橋の手前にビジターセンター兼スメリンオンナ博物館の現代的な建物がある。

博物館では島の歴史が展示物や写真、模型などで紹介されている。

中でも興味深く見せてもらったのがビデオ上映。

映像のナレーションは9つの言語から選べる。

ナレーション機器の説明と選択できる言語が国旗で写しだされる。

0 中国
1 フィンランド
2 スウェーデン
3 イギリス
4 日本
5 ソ連
6 ドイツ
7 フランス
8 スペイン

の順だった。
(なんで中国が最初にくるのか分からない)

要塞の島、スメリンオンナの歴史はそのままフィンランドの歴史でもあった。

フィンランドはまだ国の形をなしていなかった(部族の集まり)11世紀初頭に、

スウェーデン王国が派遣した北十字軍により制圧された。

それから約600年にわたってスウェーデン支配下にあったというから、

日本にあてはめれば、平安時代末期から江戸時代中期までの長きにわたる。

その間スウェーデン人の移住があり、

現代までスウェーデン系フィンランド人が人口の多く占めることになった。

ロシア帝国がフィンランドに触手をのばすことを防御するために、

1748年にスウェーデンはスメリンオンナに堅固な要塞を作った。

しかし、1808年ロシアがこの地を攻略し、

以後100年にわたりフィンランドはロシア帝国の支配下にあった。

シベリウスがフィンランデアを作曲したのは、ロシア革命で帝政が倒れ、

フィンランドが独立を勝ちとる1917年の20年前になる。

しかし、すぐ独立派(白衛軍)と親ロシア派(赤衛軍)に別れた内戦が始まり、

スメリンオンナは親ロシア派側捕虜の収用所としても使われた。

独立を勝ちとったフィンランドに、歴史は戦争をやめさせなかった。

第1次世界大戦と第2次世界大戦だ。

ここまの流れが博物館での記録映画。

要塞がスウェーデンの何王の時に、どれだけの費用をかけ、

どれだけの技術者や工人が働いていたのかや、当時の島の様子なども

イラストや絵などでも紹介されていたが、それは後から調べることができず、

後で調べられた歴史だけを書いた。

いずれの大戦でもフィンランドはドイツと連合を組んだため敗戦国になり、

ロシアに多額の賠償金を支払い、かっての日本がそうであったように、

フィンランドの国力は衰えた。

しかし、戦後は欧州連合に加盟。

福祉国家戦略を旗印に情報通勤産業に活路を見出して見事に立ち直った。

ちなみに2016年の一人あたりのGDPを見てみると、

1 ルクセンブルク
2 スイス
3 ノルウェー
、、
8 アメリカ
9 デンマーク
、、
12 スウェーデン
、、
、、
17 フィンランド
19 ドイツ
、、
22 日本
、、
73 中国

と北欧の4ヶ国は日本やドイツを抜いでいる。



日本から遠く離れてなじみが薄い国々だったが、

今回旅してみてその歴史の重みや、経済の実態を垣間見せてもらったような気がする。

博物館を後にして次の島にわたった記事は次回に、、、。

世界遺産の島 スオメンリンナ

2017年8月13日(日)

夕方、ヘルシンキのマーケット広場前にある公営フェリーに乗って、

世界遺産の島スオメンリンナに着いた。

沖合いに浮かぶ4つの島からなるスオメンリンナの船着場までは、わずか15分しかかからない。

そこからユースホステルまでは歩いて3分、スーパーも近い。

ホステルのドアはコード番号を4桁入力して開くシステムになっていた。

「コード番号はあなたの登録先メールアドレスに送信してあります」と掲示されている。

え~っ、もらってないよ。

スペインのポルトではコード番号が泊まる予定日の3日後に送信されてきて、

結局あの日は別のホテルに飛び込みで入った。

サンケンさんご夫妻と夕食をご一緒させてもらった日の話だ。

ストックホルムのホステルでは泊まる予定日の2日前に入口のコード番号、

部屋のドアのコード番号、部屋とベッドの番号がメールでおくられてきた。

ほとんどのホステルでは、普通のホテルと違ってレセプションは24時間待機することがない。

ここスオメンリンナのホステルは日曜、祝日は午前中しかレセプションが開いていない。

仕方がないのでホステルの客が来るのを待ち、開けてもらい、一緒に入った。

入口近くの箱の中に自分の名前が書かれた封筒があり、

そこには部屋とベッドの番号が書かれた紙と部屋のキーが入っていた。

レセプション不在対策もいろいろなあるもんだ。

島歩きは明日するとして、

スーパーで買ってきたインスタントのチキンカレーヌードルとビールで夕食を取る。

シャワーを浴びた後、食堂でウイスキーの水割りを飲みながら、

「竜馬がゆく」の続きを読んでいたら、

近くのテーブルで談笑していた青年グループから声をかけられた。

彼ら(4人)はボランティアキャンプに参加するために、スオメンリンナへやって来た。

全員大学生だが、通っている大学はイタリア、ノルウェー、オランダと違っている。

世界遺産の島で清掃、芝や花の手入れ、ツアーガイドなどの

ボランティア活動を2週間にわたつて行う。

今日で1週間が終わり来週から後1週間活動を続ける。

ウイスキーを分けてあげていたら、あっと言う間に空になった。

次に空港の免税店でウイスキーを買うまでは、寝酒の楽しみはお預けになった。

かもめが翔んだ日

2017年8月13日(日)

ヘルシンキ滞在4日め。

夕方には港からフェリーに乗って近くの島に移動するので、それまでまち歩き。

まず向かったのは、しつこくもまた『かもめ食堂』のロケ地だ。

カフェ ウルスラ。

サチエ、ミドリ、マサコの3人が休日を過ごしていた。

記憶が間違っていなければ、サチエは黒い水着姿にサングラス、

デッキチェアに腰かけて、目の前に広がる海を眺めながら、

美味しそうにグラスビールを飲んでいた。

多分ほかのふたりもサングラスをかけてビールを飲んでいた、と思う。

トラムの通りから海に向かって歩いて行くと、芝生がきれいな広い公園に入る。

そこを抜けると海辺に面したカフェ、ウルスラがある。

カフェラテを飲みながら、ぼんやりと海を眺めて小半時も過ごした。

雀たちがパンくずを拾うためにテーブル下に群がり、頭の上を鴎が飛びかっている。

こんな時に流れるのは、渡辺真知子の歌。

『かもめが翔んだあ、かもめが翔んだあ、
あなたはひとりで生きられるのねえ、、、』

かもめずくしの日曜日の昼下がり。

かもめ食堂の三人もお店を閉めてここにやってきて、

のんびりと時を過ごしたのだろう。



帰り道は公園を通らずに海辺沿いの歩道を歩く。

日曜日のせいか、昼からランニングをする人が多い。

空は晴れあがり、気温は20度くらいなのでランニング日和だ。



次に向かったのはシベリウス公園。

地図で見ると、トラムの停留所はPaciuksenkbryが近そうだ。

地名が長く、アルファベット文字を使っているのでローマ字読みできそうなのだが、

舌を噛みそうになる。

フィンランドは、帝政ロシア時代にはレニングラードから遷都され首都になり、

スウエーデン領だった時もある。

なので今でもスウエーデン語を話せる人が多いみたいだ。

トラムの停留所の地名もノルウェー語とスウエーデン語が併記されている。

先ほどの地名、Paciuksenkbryはスウエーデン語で表すと、Paciussvangenとなる。

舌を噛みそうになる停留所に着いて10分ほど歩き、シベリウス公園に着いた。

入り口に大型バスが停まっていたので、想像はしていたが、

中国人の団体がシベリウスの肖像のオブジェの前を占拠していた。

オブジェとならんでいる、ステンレスパイプで制作されたモニュメントにも、、、。

エジプトを訪れた時の、ニイハオ チャイナ!の呼び掛けを思い出す。



それはともかく、シベリウス。

昨晩ユーチューブでシベリウスの代表作『フィンランデア』を聴き、

ウィキペディアでその概要を読んだ。

曲は重厚でものものしい導入部から始まり、なにか威圧的だ。

作曲された1899年のノルウェーは帝政ロシア時代で、その圧政に苦しんでいた。

最初『フィンランドは目覚める』という題名で作曲された8曲からなる管弦楽組曲の

最終曲を独立させてできたのが『フィンランデア』だ。

帝政ロシア政府は、フィンランドへの愛国心をわき起こすとして、この曲の上演を禁止した。

背景が分かると、曲にこめられたシベリウスの思いが伝わってくる。

今日は2ヵ所だけのまち歩き。

かもめが翔んだ日曜日を終えた。