回顧・ダンカンの歌

2017年5月4日(木)

ウユニからチリの首都、サンチャゴを目指します。

今日はイミグレを通過してカラマまでバス紀行。

バス乗車時間8時間、出入国のイミグレと荷物検査に4時間。

朝4時に出発したバスがカラマに到着便したのは、午後4時。

長い1日でした。



回顧編では、、。


朝4時出発の長距離バスを待つ。まだ町は闇に包まれていた。

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ウユニからチリ・カラマまでは約400キロある。

小さな町を抜けると、まったく緑のない禿山と荒地ばかりを走る。

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4時間ほど走ったあとにバスは停車した。

小さなプレハブ小屋がボリビアのイミグレオフィスだった。


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オフィスが開くまでの間に、野菜スープを食べ、

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出国カードを記入して待つ。

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オフィス前で並んでいると、

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ペルー・ラパスの丘で会った韓国人青年たちと偶然再会した。

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4月30日のブログ記事に掲載した、ラパスのキリキリの丘で撮った写真、

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彼らもウユニからバスに乗り、カラマへ向かう。

カラマからはサンペドロアタカマ経由でアタカマ砂漠を目指すらしい。

雄大な自然と塩湖のある砂漠で、チリ観光では有名なところだ。



ボリビアのイミグレを通過し、バスは5分ほど走って砂漠の中で停まった。

チリ側から別のバスがやってきて、乗客と荷物を乗せ換える。

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ボリビアから来たバスはここから引き返し、

チリ側から来たバスは国境を越え、

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チリのイミグレオフィスで停車した。


今度は入国カードを記入する。

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ボリビア側のオフィス前では1時間待たされたが、チリ側では2時間待たされた。

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ボリビア⇒チリの国境を通過するのに、

たかが2キロほどしか離れていないのに合計4時間もかかった。

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さらに砂漠地帯を4時間走り、

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カラマの町に着いたのは午後4時だった。

朝4時に出発してから12時間かかったことになる。

バス停についてからはたと困った。

チリの通貨を持っていないことに気づいた。

タクシーをつかまえて運転手に聞いた「ボリビアのお金を受け取れますか?」

答えはNOだ。

重いリュックを担いで両替店を探し、ボリビアのお金と手持ちのドルを両替した。


ホテルは町から外れた郊外にあり回りには何もなかったが、

幸いレストランが1階にあり、夕食にありつけた。


カラマはサンチャゴへ向かう途中下車の町で、なにもする予定がない。

夜は部屋にこもって本を読んですごした。



夜10時ころ、隣の部屋からなにか怪しげなうめき声が聞こえてきた。



あっ、これってポール・サイモンの「ダンカンの歌」の出だしにある歌詞と同じだ。

Couple in the next room bound to win a prize,

They've been going at it all night long,

Well, I'm trying to get some sleep,

Lincoln Duncan is my name and here's my song,


訳詞はこうだ。


隣の部屋のお二人さんは 賞でも狙っているのか?

一晩中頑張っている

モーテルの壁は薄く耳につく声で 僕は眠れない

僕の名前はリンカン・ダンカン

これから歌うのは僕の歌だよ



初体験をうたった歌で、

そして 僕の長い童貞時代は終わった

と歌われている。



「ダンカンの歌」の歌詞のように、 all night long ではなかったが、

声がやむまではかなりの時間がかかった。

終わってから、、、やれやれこれでやっと眠れると思った。

回顧・ウユニ塩湖ツアー

2017年5月3日(水)


ウユニ塩湖ツアーに行って来ました。

マチュピチュより、ナスカの地上絵より感動しました。

地球上では自然がこんなに素晴らしい風景を

造り出してくれれるのか。

8時間のドライブはあっという間に過ぎてしまいました。

「回顧・ウユニ塩湖ツアー」をいつかアップします。



上記がオンタイムでブログにアップした記事です。

「回顧・ウユニ塩湖ツアー」では、、、、




ボリビアのアンデス山脈に囲まれた盆地に、小さな町ウユニがある。

ここは言わずと知れたウユニ塩湖観光のベース基地の町で、

町中にはツアーガイドの旅行社とホテルとレストラン、土産物屋しかない。

朝10時、前日に予約したウユニ塩湖ツアーのオフィス前で待っていると、

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小さな子供たちとその親たちが、遠足にでも出かけるのだろうか、大勢集まっていた。




ツアー用の4駆は約束の時間より30分も遅れてきた。

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アルゼンチンから来たという青年の二人組と現地の若いカップル、

それにRay次郎を乗せて、ウユニ塩湖へ向かう。



最初は舗装の道。アルパカ?が車道を横切った。

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最初に案内されたのは、砂漠の真ん中にある列車の墓場。

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イギリスの会社が、ボリビアで産出された資源を運び出すために鉄道を敷いた。

だが、資源を海外へ輸出するためには海岸線まで行かなければならない。


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1940年代まではそれが可能だったが、チリとの国境争いに敗れ、

太平洋へ抜ける領土を失ってしまった。

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資源を運び出せなくなって、イギリスの会社は鉄道を放棄した。

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かくして車両は、主人に捨てられてから長い年月をへて、朽ちていき、

行き場のない線路の上で、


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あたかも芸術作品のような趣でここにある。

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ウユニ塩湖ツアーのトイレ休憩とランチを食べるだけに設置されたテント村に着いた。

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数十台の4輪駆動車がツアー客を乗せてきているが、

メーカーを見てみると、100%日本車が占めていて、

95%以上がトヨタのランドクルーザー、

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日産のパトロールという車種の4駆が2台だけだった。

トヨタの圧倒的な力を見せつけられた感じだ。


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ツアー客のお土産はアルパカ。

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お堂のような小屋が建っていて、中には塩で作られた塔と人形が展示されていた。

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ツアーはランチ付きで、ビーフステーキが出された。

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テント村の周りには住居らしい建物が並んでいるが、人は住んでいない。

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鉄道と一緒に廃墟になったのだろう。

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砂漠の中の道なき道を走ると、

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やがて見渡す限り白銀の世界に入り、こんもりとした塩の山が幾列も作られていた。

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ウユニ塩湖の中央に位置するところに塩だけでできた「塩のホテル」がある。

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1泊のツアーだとここに泊まることになる。

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ホテルに隣接して国旗の掲揚台が設置されている。

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アルゼンチンから来た青年にうながされて、トリック写真の準備をし、

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オーソドックスな絵を撮った。

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そもそもなぜ標高が3400メートルもあるこんな高地に、塩の湖ができたのか?

はるか昔、アンデス山脈が海底から隆起した際に大量の海水が山上に残ったため、

この広大な塩湖が形成されたといわれている。

海水が埋めきれなかった場所が島になって残った。

それが、サボテンが数千本生えているインカ・ワシ島だ。

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ひとりで島の頂上を目指して登っていたが、途中で日本語が聞こえてきたので、

合流させてもらった。

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日本の旅行社にツアーをセットしてもらい。

マチュピチュとウユニ塩湖では日本語ガイドをつけてもらった、

会社勤めの女性2名。

そう言えば、日本はゴールデンウイークの時期だった。



ボリビア人のガイドがお勧めするポーズをとって写真を撮る。

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彼女らとは島で別れ、4駆はいよいよ「天空の鏡」と言われる場所へ行く。

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夕日が完全に沈むまで待つ事になった。

ここでスマホの電気が切れて、以降写真を撮ることができなくなった。




ここからは全部若谷さんという女性から送ってもらった写真だ。

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我々の4駆グループがいる場所から100メートルほど離れた場所から、

楽しそうに歓声をあげて写真を撮りまくっているグループがあった。

日本から来た女性だけのグループらしい、日本語がここまで聞こえる。

彼女らに写真を撮ってもらい、あとでメールに添付して送ってもらおう。

途中靴に水が入るような深い場所もあったが、100メートル歩いて近づき、

訳を話してお願いした。

快諾してもらい撮った写真が上記のものだ。

ブログに彼女らが撮った写真も掲載したい、、、とさらにお願いした。


そして、以下の文章と一緒に彼女らの芸術写真が送られてきた。

斎藤様

返信が遅くなり申し訳ありません。

置引きに合われてしまったのですね。それは大変でしたね。

日本人はカモにされてしまうので気をつけないとですね。。

ブログで紹介いただけるとのこと光栄です。

写真をお送りします。

以上、若谷


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5月3日にブログ掲載を約束したのに、実現できたのは10月18日になった。

遅くなってしまい申し訳ありませんでした。

若谷さん以外のお二方にもよろしくお伝えください。

ありがとうございました。






やがて、ウユニ塩湖は夕日の中に沈んでいった。

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冒頭にも書いてあるが、

マチュピチュよりナスカの地上絵より、ウユニ塩湖には感動した。

今は旅を終えて記事を書いているわけだが、

次に感動したのはイグアスの滝だ。

その記事はあと1か月ほど待ってもらうことになる。

ラ・パスからウユニへ夜行バス


2017年5月1日(月)

レッドラインの始発駅は鉄道の中央駅を利用していることは前に述べた。

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プラットホームが残っている。

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暑くなってきたので50円のアイスクリーム。

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そして屋台のソーセージと卵焼きのサンドを夕食にして、

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夜8時発の夜行バスに乗った。ツアーバスなのでトイレ付。

Ray次郎の席は最前列3席のうちの一つ、この席だけフルフラットになる。

10時間の走行なのでこれはラクチン。

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夜中の3時に休憩。

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5月2日(火)早朝6時、ウユニの町に着いた。

まだ町は眠っていた。

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ラ・パスはメーデー、BBQの後お墓団地へ

2017年5月1日(月)

ラ・パスのホステルをチェックアウトし、大きいリュックを預かってもらう。

身軽になってまち歩き。今日はメーデー。

目抜き通りは昨日のお祭り騒ぎから、デモにあふれていた。

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警察も多く出動していた。

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目指すは昨日のケンちゃん食堂だが、

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残念ながら今日はクローズしていた。

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ならばBBQ広場を目指す。やってました。

昨日の列をなしていた子豚の群れは、見事に平らげられていて、最後の1棚だけ。


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ケンちゃんラーメンの代わりにいただきました、子豚の丸焼き。

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最初はポテトは要らないと断ったが、隣のテーブルで食べていたのを見て、

後で追加してもらう。

子豚の丸焼きは柔らかく、そして香ばしい。

皮までパリパリしていて美味しい。ボリューム一もけたはずれ。。


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当分肉はいらないと思ったくらい、お腹いっぱいになった。



目抜き通りに戻ると、デモは終了し従来の車道に変わっていた。

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午後からまたレッドラインに乗り、一駅めで降りた。

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駅のすぐそばにあった花屋さん。

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昨日見つけて気になっていたお墓の団地を訪問した。

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4階建てになっていて、小さなボックス型のお墓がいっぱい連なっている。

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当然お墓団地の中央には教会が建っていた。



ギターの音と歌声が聞こえたので、行ってみた。

まさに現在進行形の葬儀の最中だった。

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弔いの唄なのだろう、もの悲しい響きが伝わってくる。

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アンデス衣装のショールは普段着はカラフルだが、葬儀はやはり黒一色。

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お墓に顔をうずめて泣いていた女性がいたが、写真は撮れない。

夫だろうか、子供だろうか。悲しい場面は静かに通り過ぎた。


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お墓団地を後にし、レッドラインに乗りラ・パスの底に戻る。




1日で日本人6人と、韓国人5人。


2017年4月30日(日)

グリーンラインの終着駅で親子と別れ、レッドラインの駅エル・アルトへ向かう。

後で分かったが、標高3650mのラ・パス市内の底から、

ここエル・アルトは500m高い、4150m。どうりでさらに息が切れるわけだ。

ここから見える山の名前は分からないが、4150mの場所から見て、

これだけ突き抜けておるのだから、6000m級なのだろう。


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また泥棒市をぶらぶら歩く。

コインを投げて、落ちた場所のカードでお金が取られたり、倍になって返ってきたり、

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子供はサッカーゲームでボールを蹴りあって、

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夢中です。

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市中にたむろする野良犬は毛むくじゃらが多いよなあ。

だから野良でも上品な感じがするのです。

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柴田製茶の会社の人たちは、自分たちの車が地球の反対側で活躍してるとは、

夢にも思わないでしょう。

でも何か変です、この電話番号??

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などと写真を撮っていたら、後ろから「日本人の方ですか?」と声をかけられた。

振り向くと、若い女性の4人組。

「ここらからタクシーに乗れる場所はありませんか?」

ラ・パス空港でウユニ行のフライトをチェクインした後、

市内見学をしてここまで来たが、あと3時間ほどで飛行機が飛ぶので、

飛行場に戻りたいたいとの事。

地図を見ればここからは2~3キロしかない。

歩くには遠いし、こちら暇人ですから付き合ってタクシー探し。



5月の連休を利用して2週間の南米旅。

「そりゃ、高かったでしょう、で、これからどこへ?」

「へえ~、世界旅行ですか。すごいですねえ。どこを周るんですか?」、

などと話をしながら歩くが、なかなか泥棒市から抜け出せない。

長く続く市に沿って歩くことをあきらめ、抜け出して直角に歩くと、繁華街に出た。

ようやくタクシーを見つけ、値段交渉をして彼女らを乗せた。

ここでお別れ、つかの間のお父さん役を果たした気分だ。



レッドラインに乗ってすり鉢の底へ戻り、歩いてホステルへ。



夜6時、辺りはすっかり暗くなった。タクシーでミラドール・キリキリという丘へ向かう。

「治安が悪いので行き帰りはタクシーを利用すること」と地球の歩き方に載っていた。

人影はまばらだったが、なかで学生の一団が来ていた。

彼らの話声を聞いて、「アンニヨンハセヨ!」とこちらから声をかける。

「*@csd#&¥Ew ハセヨ」、「No、 No、 I'm from Japan」、すると

「日本人ですか。私たちは韓国の学生です」

一番手前の女の娘が日本語で答えてくれた。日本語がかなりお上手。

5人一緒に南米を1か月間旅行している。

宿で同部屋になったリー君同様、みなさん裕福な家庭の生まれなのだろうか。


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おかげ様で、いいスナップ写真を撮ってもらいました。

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帰りもタクシーで戻り、ホステルの隣のチャイナレストランへ。

すると前のテーブルで日本語を話す青年二人。

一緒になって同じテーブルで食事を取る。こちらはビール、彼らはスプライト。

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から揚げを完食したのは関西人の青年で、もっぱら会話の中心。

もうラ・パスに2か月もいる。それはもう旅とは言わず、生活でしょ。

焼きめしを完食したのは、寡黙でほとんどしゃべらず、

から揚げ君とは南米のどこかで知り合って、後からラ・パスで同宿したらしい。



手前のヌードルを残しているのはRay次郎です。

1日に6人の日本人、5人の韓国人と話して、腹一杯になりました。