亀田~北山 まち歩き

12月13日(日) 「タウンウオークかめだ」では

来年3月に開催される「駅からハイク」の予行演習としてまち歩きを行った。

亀田駅を出発して、市場通りへ。

江戸時代1694年、本町通りに亀田六斎市が始まる。

裏町堀は荷物を栗の木川の船溜まりから小舟に乗せ換えて、

各商店の蔵に運んでいた。

戦後、自動車の通行量が増大し本町通りの市場は成り立たなくなった。

昭和32年、浦町堀を埋め立て、ここに移転した。

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三・九の市なので本日は開催日なのだが、市場は午前中で仕舞うので、

午後の3時ではだれもいない。


市場通りに面して、商家・石本邸がある。

この家は国の登録有形文化財になっている。

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三階にある望楼は亀田の街並みを眺め渡す、絶好の場所であったろう。

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参加メンバーの14名は旧役場跡に建てられたコミュニテイセンターを通り過ぎ、

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東町にある町営住宅へ。

昭和30年頃に建てられた住宅で、今は数戸しか残っていないが、

住んでおられる方もいる。

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次に向かったのは水道タンク。

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明治、大正と、コレラや腸チフスなどの疫病に悩まされていた亀田町は、

その原因の一つが飲料水の不良にあるとした。昭和8年いよいよ上水道工事がスタートした。

向山の砂丘のくぼ地に井戸を掘り地下水をくみ上げる。

必要な水の量は6万4千立法尺、湧き出る水の量はその倍、1億4千立法尺であった。

これを水道タンクにいったんくみ上げ、亀田町内全域に配水管で供給するという水道工事であった。

人口の増加と地下水の減少が相まって昭和31年には小阿賀野川からも取水したが、

平成14年までは現役の水道タンクであった。

亀田町教育委員会はこのタンクを国登録有形文化財に申請し、登録された。

昔から町内のどこからも眺められた「向山の水道タンク」として親しまれてきた

歴史的景観に寄与しているという登録の基準が重視されたものと思われる。


水道タンク



亀田町民にとっては、水道タンクとすぐ近くにある北山池とは対の景観となっている。

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今は湖岸が整備され北山池公園として、憩いの場になっている。

半世紀前はこの池の近くに向山とよばれる、小高い砂山があり、

冬になると子供たちはスキーを楽しむことができたし、


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夏には、ここ北山のオジ(弟)池で泳いだものだ。

さすがに、ここで泳ぐ子供の姿はなくなって、

今は全国的にも有名なヘラ鮒釣りのメッカになっている。

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コースの最後は石本酒造の工場と隣接した住居。

明治40年創業。濃厚甘口が主流であった酒造りの中にあって

終始端麗辛口のすっきりした味わいの酒を造り続けた。

昭和40年代に入り、雑誌「酒」の編集長であった佐々木久子が「越の寒梅」に着目し

「幻の酒」として紹介したのをきっかけに地酒ブームに火がつき、

寒梅を一躍全国のトップブランドに押し上げた。

寒梅はその後も生産高を増やさなかったので、

なかなか手に入らずまさに「幻の酒」として名を馳せ、

プレミヤをつけて販売された時期もあった。

現在では5年古酒焼酎、10年古酒焼酎以外の吟醸酒は容易に手に入る。




亀田駅長から工場見学を申し入れたが、衛生上の問題で残念ながら断られた。

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なので、めぐらされた竹垣と、アプローチの写真だけとなった。

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まち歩きは、これをもって終了。

当日は忘年会を引き続き開催したので、一行はカラオケに直行。

歩きが2時間、忘年会が3時間という長丁場の一日だった。



記:Ray次郎