カサブランカのビール

2017年6月23日(金)

人口400万人の大都市、カサブランカに着いた。

最大の感心事は、この40度近い暑さの街でビールにありつけるかどうかだ。

タンジエから5時間の列車旅。カサブランカの駅には午後3時に到着。

駅前から中心市街地に向けて四両編成のトラムが走っているが、

ホテルは歩いて5分。チユツクイン後にすぐシャワー、続いて洗濯。

暑さを避けるため部屋で待機、午後7時にホテルを出た。

トラムの停留所前にあるチケットの販売機で回数券を買って、待つことしばし。なかなか来ない。

停留所で路線図を眺めていたら、外から青年が近づいてきた。

トラムはオフタイムに入っていて後1時間は来ませんよ、と教えてくれた。

仕方なく歩いて行くことにした。午後7時30分。

目的地の国連広場までは停留所は六っ、距離にしても2キロほどだ。

トラム専用の2軌道と車専用の2車線の大きな通りを歩く。

通りには歩いている人がほとんどおらず、商店のシヤッターも閉まっている。

薄暗い通りにいるのは露店の品物を並べたままで夕食を取っている連中だけ、

獲物に喰らいついているゾンビの群れが通りを占拠している。

まるでゴーストタウンを歩いているようだ。

40分歩いて目指す広場に着いたら、まばらに人も増えてきた。

五つ星ホテル、ハイアットリージェンシーホテルのレストランに入る。

外から見たら客たちがビールやワインを飲んでいるのが見えたので、

ここなら大丈夫ビールが飲める。

アスパラガスのサラダに白身魚のムニエルでローカルビールを一気飲み。

うおっっ、woo!!2日ぶりのビールに喉が雄叫びをあげた。

ここはラマダンの治外法圏、ラマダンは入って来られない。

しかも五つ星だけあって、WiFiの電波が強力、さくさくつながる。

食事の後でブログの記事を書いたりして、1時間半もここにいた。

レストランを出たのが10時、広場には信じられないほどの人であふれかえっていた。

帰りのトラムも満員、時間帯の過ごし方が日本とは全然違う。



カサブランカ、カサブランカ、、、うん、うん、、

ー ー ー ー ー ー ー ー

名画「カサブランカ」でイングリッド バーグマン、愁いに満ちた顔で

「昨夜のラマダンはどうしていたの?」

ハンフリー ボガード、白いスーツに蝶ネクタイ、にひる虫を噛みつぶしたような表情で、

「そんな遠い昔のことは覚えていない」



「明日のラマダンはどうするの?」

「そんな先のことは分からない」

しばらく間があったが、苦笑いしながら

「きっとまた同じ所にいるよ」

 --   FIN  --









ガイドのヨセフと迷路を歩く

2017年6月22日(木)

ガイドのヨセフとホテルを出た。

最初は二人で通ってもすれ違う人とは余裕の道幅だったが、

狭い小路に入ると、人ひとりすれ違うのがやっとだ。

いくつか路を曲がると、もう方向感覚がなくなり、ホテルがどちらの方向なのか分からないし、

来た路を帰れる自信はまったくなくなっている。

ここはメディナの中なのだが、さらに古いメディナへのゲートから中に入る。

最初に行ったのは市場。地球の歩き方には紹介されていない。

トン足に豚の頭、野菜に魚、マグロの解体ショー、ミントもオリーブの実も種類が多い。

地球の歩き方にメディナの地図として掲載されているのは出入り口とメインの通りだけ、

細かい迷路は書ききれない。白地、空白。

樹齢500年以上の大木、名前を言われても分からない。

120年続いているパン屋さん。

機織りで実演している衣料品店の若い店長のTaha。

漢字で書くとこうなるよと教えてあげた。

田羽:ricefield wing

他派:another party

多歯:many teeth


日本人客が来たら、マイネーム イズ タハ、とか言って、この字を見せることになるのかな?


イスラム世界では今ラマダンの最中で、今日は27日め。あと三日続く。

イスラム教徒のヨセフもラマダンを守っている最中だ。

ラマダンは神がイスラム教徒に遣わしたお医者様のようなもので、

そのお陰で心身ともに健康でいられるとのこと。

日の入りから日没まで飲食、喫煙はダメ。

1ヵ月の期間中はセックスとアルコールは禁止。

特に人の噂話と悪口を言うことは、最も禁止されている。

大見栄をきって言わせてもらえば、

セックスは1ヵ月でも10年でもラマダンの戒律を守ることができる。。

喫煙を1年以上続けたことがある。(今は喫ってるけど)

人の噂話や悪口はもともと嫌い。

だがお酒に関しては、ラマダンには参加できそうにない。

ここタンジエでは店からアルコールは買えないし、出すレストランもないと言う。

日中に外国人向けに料理を出すレストランへ連れて行ってもらう。

一応、ビールはあるかと聞いてみたが、返事はノーだつた。

まず、前菜としてパステイラ。

鳩肉をタマネギ、アーモンド、スパイスと炒め、パイ皮で包んでやいたもの。

ハリラという黄土色したスープと一緒に出て来た。

メインは鶏肉と野菜を煮込んだタジン鍋。

ミントティーもすっきりした味で料理にあう。

デザートはスイカとウリ。


レストランを出て、ホテルまでヨセフに送ってもらい彼とはそこでサヨナラ。

ありがとう、10ユーロの価値はあつた。

夜もだいぶ更けた10時過ぎ、近くのレストランでイワシ料理と野菜サラダを食べた。

回りの客は食べて飲んで煙草を吸っていたが、みんなアルコールは飲んでいない。


旅に出て初めてビールを口にしなかった。

ラマダーン、ヤダーン!








海峡でイミグレ、グランタクシーに乗る

2017年6月23日(木)

アルヘシラスのフェリー乗り場からフェリーに乗りこんだ。

船内には入れるが、キャビンにはまだ入れない。

キャビン前の廊下に並んでいる乗客。

フェリーが岸を離れて15分ほど経ってからモロッコのイミグレが始まった。

地上と違い、パスポートを光学的に読み取る機械がないので時間がかかる。

1時間の乗船時間で、イミグレに30分もかかってしまったが、

ジブラルタル海峡のまん中あたりでモロッコに入国した。

ガイド本には、新タンジエ港に着くと、

48キロ離れた市街地にある旧タンジエ港まで無料のバスが出ているので、

それに乗ること、とあった。

小さなバスに乗りこんで、1時間近く走るだろうと思ったら、5分で全員降ろされた。

新しくできた駅のようだ。

市街までを結ぶ公共の交通機関ができたのかと思ったが、そうではなかつた。

BUSとTAXIの表示板があるので、移動手段はこのふたつしかないことが分かる。

ガイド本の情報から変わっているので「i」のスタンドで聞いた。

バス料金は1ユーロ、バス停はこの建物を出て歩いて10分の国道沿いにあり、2時間に1本運行。

なんでバスはこの駅まで来ないのだろう?

乗客がいっぱい待っているのは分かつているのに、、、。

タクシーは建物を出て2分の所に乗り場があり、料金は20ユーロ。

そして最後に、モロッコのお金は持っていますか、と確認された。

説明はヨーロッパからのツーリストが多いので、分かりやすいようにユーロでしてくれたが、

バスでもタクシーでも現地通貨で払わなければならない。

ATMの場所を教えてもらい、現地通貨を引き出してからバス停に向かう。

国道に出てすぐ、目の前を2時間に1本のバスが無情にも通過していつた。

ああ~、2時間が行ってしまう、、、、。

3分ほど歩いてバス停に着いたが、バス待ちは当然ひとりだけ。

しばらくしたら、スーツケースを引きながら国道を上がって来る3人。

おばあちやんと中年の女性、10歳くらいの女の子の三人づれ。

今度は4人で2時間近く待つことになるのか。

待つこと10分、バス停の前にバンタイプのタクシーが止まった。


料金を聞いたら、200ディルハム(20ユーロ)。(i)で聞いた料金と同じだ。

バスで行けば着いたバス停からまたタクシーに乗ることになる、

これに乗ればホテルまで直行できる。

隣で待っていた中年の女性に英語で、タクシーに一緒に乗って料金をシェアしないか聞いてみた。

バスはまだ2時間は来ませんよ。

英語を話せる人だつたので、分かつてもらい一緒に市街地までタクシーで向かう。

親子3代で旅行しているらしい。お国はポーランド。

9月にはポーランドのクラクフへ行き、そこからアウシユビッツを見に行くつもりだ、と言ったら、

自分たちはそのクラクフからやってきて、

スペインを旅行してからモロッコの親戚の家へ行くと話してくれた。

タクシーで40分走り、市街地の街角でRay次郎が先に降ろされた。


ここから先、ホテルのある地区はメディナ(旧市街)だから車は入れないらしい。

ポーランド三代とはここでお別れ、メディナに入る狭い坂道を歩き始めた。

歩き始めてすぐおっちゃんに声をかけられた。
(英語で) ホテルは何処ですか?

どこどこと言うと、案内すると言う。
怪しいとは思ったが、

探す手間が省けると思い、ついて行った。

道みち勝手にしやべる話を聞いてみると、やっぱり外国人相手のガイドだった。

結局二時間100DH(10ユーロ)でガイドを頼むことになったが、これは大正解だった。

その話は次回また。

アルヘシラスのフエリア

2017年6月21日(水)

ヨーロッパとアフリカ大陸を隔てるジブラルタル海峡。

アルヘシラスは北アフリカのモロッコへ渡るフェリー港があり、旅人たちが集まるが、

観光と呼べる場所はなく、ただ単に通過するだけの町だ。

ホテルはフェリー乗り場から歩いて5分、この上なく便利な場所にある。

フロントでスーパーの場所を聞いた。

3軒隣がそうだというが、閉まっていると言う。

今日は特別な日なのでほとんどの店やレストランが開いていないから、

フエリアに行けば良いよ、とフロントのお兄さん。

それ、何?と聞くと、お祭みたいなもんだと言う。

歩いて行くには遠いらしいので、ホテル前からタクシーに乗る。

確かに歩くには遠かった。10分。



100メートル四方くらいの広場に、道幅20メートルぐらいの通りが碁盤の目のように五~六本通じている。

通りに面した場所は仮設のテントでこしらえたレストランが軒を連ねて並んでいる。

レストランと言うより、デスコクラブと呼ぶほうが近い。

中央に舞台、DJ風の男性が進行役、スピーカーから割れんばかりのダンスミュージック。

舞台の前は広く空いていて、ダンスフロアーになっている。

そこに全員ではないが、フラメンコの衣装で着飾った女性たちが踊っていた。

なぜか中年以上、いやお婆さんがやたらと多い。

店の中では、老年のグループも若者のグループもお酒を飲み食事をしながら、

おしゃべりに余念がない。

通りの上には、神戸のルミナリエほどではないが、

幾何学模様のイルミネーションが繋がっている。

今は四時過ぎくらいで陽も高く、スペイン人の昼寝が終わったばかりの時間帯。

日が暮れる9時ころからは電飾が輝き、どっと人がくり出して来て、賑やかになるんだろうな。

舞台のない店がバルみたいに料理を並べていたので、現物の料理を指さしてビールもたのむ。

スペインの定番、パエリアと串焼一本。

パエリアは少し硬めのパサパサ飯に野菜と肉と魚介類を混ぜ込んだ、焼き飯。

ここから通りを見ていると、けっこう若い娘も歩いている。

膝上のショートなワンピース、胸を大きく開いて、手には原色の扇子、

頭の上に鶏のとさかのような飾りを着けている娘もいる。

バブル期のジユリアナ東京のお立ち台を思い出す。(実際に見たことないけど)

お婆さんたちが家路に帰るころになったら、こんな娘たちであふれるだろうな。

見てみたい気もあるが、想像するだけにしてホテルに帰った。



店の看板に書いてあったスペイン語「Faria 2017」、

英語にすると「Fair」?

電子辞書では、
原義は祝日。品評会;通例戸外、余興.屋台が出されお祭的雰囲気がある。

と書いてあつた。

最古の闘牛場

2017年6月20日(火)

ロンダには最古の闘牛場がある。

トレドでは、競技が終わった後の闘牛場を薄暮の中、写真だけ撮った。

もちろん、場内には足を入られなかった。

ロンダの闘牛場では観客席にも場内にも入れるし、

観客席の下の回廊は闘牛博物館になっていて、闘牛士の衣装を始め様々な資料を見ることができる。

模写だろうが、ピカソが描いた闘牛士の絵も展示してあった。



競技場に立ってみると、牛が入って来ると思われる入口が四方に見える。

円方形に囲んだ観客席からの興奮の声が、ここ一点に集中するだろうと、容易に推測できる。



競技場を後にして、ソコロ広場へ行く。
広場に面してある教会。

広場は夜になると、所狭しと屋外レストランがテーブルをならべる。

別々のレストランで二晩食事をとった。

タホ広場。入口にオーソン ウェルズとヘミングウェイの顔の像が対になってある。

ヘミングウェイは分かるが、オーソン ウェルズはスペインから移民して

アメリカの俳優になったのだろうか?

ここまでが新市街にある。境にあるヌエボ橋を渡って旧市街へ足を延ばす。

サンタ マリア ラ マヨール教会、その隣に建つ市庁舎。

いずれも古都ロンダの旧市街にふさわしい美しさだ。

さらに南に向かう坂道を下って行くと、外部からの侵入を防ぐ門がある。

橋から門までは歩いて15分ほどしかない。

旧市街がこじんまりと固まっていたことが分かる。

この街を訪れた目的はヌエボ橋と闘牛場を見ること。

ふたつを十分堪能したので、ほかの場所はまち歩きのついでみたいなものだった。


橋を目指す町、三っつ

2017年6月20日(火)

前回の記事を訂正します。

すぐ気付いた方もおられると思いますが、上がりは一、九、字牌だけなので全帯(チヤンタ)が二役付きます。

ハネ萬でしたね。

黙って萬がん分しか払ってくれなかった、そこの三人、ずるいよ。

そんなことはどうでも良いとして、、、、、



今回の世界一周旅で橋を目的に訪れる場所が三つある。

映画「猿の惑星.創世記」で印象的だったゴールデンブリッジがある、サンフランシスコ。

ヨーロッパとアジアを結ぶボスポラス大橋がある、イスタンブール。

断崖絶壁に立つヌエボ橋がある、ここロンダ。

ロンダは標高740メートルの断崖の上にある空中都市だ。

ロンダの旧市街と新市街を結ぶ位置にあり、橋桁100メートル、長さ66メートル。

断崖から落ちこむタホ峡谷の上に、石造りのアーチ状の姿をみせてくれる。

谷を上から覗くと、巨大なくさびを打ち込まれたような形をしており、

大小の岩にはばまれて蛇行する水流は、最後に小さな滝になって終わっている。



橋を下から見えるところまで坂道で下りていくことができる。

観光用写真や絵はがきはここからのショットが多い。

橋に隣接してパラドールが建っている。橋の上からだと分からないが、

下から見ると、断崖絶壁ぎりぎりなのが良く分かる。

(パラドールとは国営ホテルの名称。

歴史的建造物をホテルに改造し、スペイン国内で90箇所ほどある。

もちろん五つ星、お値段は高いが予約が殺到していて、泊まるのは難しいらしい。)

目を橋とは反対にむけると、そこにはアンダルシア地方の風景が広がっている。

遥かに続くなだらかな起伏の緑の丘に白い家々のコントラストが絵になる。

ロンダには他にも見所が残っているので、それは次回。





ロンダの夕飯、それロン!っだ!

2017年6月20日(火)

ロンダのセントロ、チャイナ広場にあるレストランの卓で夕飯をつまんだ。

まずは、そうずら、(なんで長野弁?)、
オリーブオイルとビネガーと塩の三点、それにパンが中。

次に配膳されたのが、色鮮やかにトマトにキュリにレタスの三点盛り、まんず美味そうだ。


ぴんに配膳されたのは、メインのラムチヨツプがダブルで、1,2,3ときた。

ドラドラ!

待つのは中の頭待ち。

出ました、ビールの中ジョッキ、🀄。



それ、ロン!っだ!



ゴクリといただいた。開けてみれば

索子(そーず)で1,2,3。

萬子(まんず)で1,2,3。

筒子(ぴんず)で1,2,3が二枚ずつ、しかもドラドラ。

三色(さんしよく)、一盃口(いーぺいこう)、ドラドラ、しめて満貫、大🍴🈵足。



こんなひんしゅくを買いそうな、くだらない記事を書いていたら、

せっかく積み上げてきた品位ある座蒲団を全部持っていかれそうだ。

サンフアン駅で買ったがためのハプニング

2017年6月19日(月)

グラナダからロンダ行きの座席指定劵、3日前に小さな駅サンフアンで購入した。

劵はこれまで買った指定劵と違って、名刺サイズの大きさの中厚の劵だ。

大きく印字されている文字は、

「GRANADA」 「RONDA」 「19-JUN-17 」

2017年6月19日 グラナダからロンダ行き。

小さな文字でSALIDA12:45 LLEGADA15:45

これは出発12時45分、到着15時45分、

COCHE 003とあるのは3号車、PLZA 152は座席番号152番。

これまでの経験でこれまでは簡単に理解できる。

他に小さな文字で2行ほど記載があるがスペイン語は読めないし、上に書いた情報で十分だと思っていた。

いつもそうしてるが、発車時間の30分前には駅に来るようにしている。

道に迷う、地下鉄の駅を間違えて降りる、、何があるか分からないから。

グラナダの駅には45分も前に着いた。この駅にはプラットホームがひとつしかない。

駅前の広場は土木工事中、

ひとつしかないプラットホームの先も新たなプラットホームを3つ、4つ作っている最中だ。

プラットホームで本を読みながら待つ。

発車時間がきても列車が来ない。

窓口に行って列島が遅れているのか聞いてみた。

窓口のカウンターに大きさ紙が置いてあり、駅員さんがスペイン語で説明し始めた。

紙に書かれた文字は分からないが、地名と時間の数字、BUSとTRAINの意味は分かる。

つまりこう言うことだった。

グラナダからは列車ではなく、接続バスでANTEQUERA駅まで行き、

そこから出る列車でロンダまで行く。

そういうことだった。


サンフアン駅で指定劵を買ったばっかりに、この情報を取れなかった。

グラナダ駅で買えば窓口で説明を受けられたのに、、、。

後で気がついたが駅構内に大きな掲示板があった。

スペイン語で書いてあったので読みもせず、通り過ごしたが、

経路が分かつてからスペイン語を読み解くと理解てきる。

このグラナダには世界中から観光客が来ているというのに、

英語の表記がないとは、あまりにも不親切ではないか。

英語で書いてあれば、通り過ごすことなく読んだのに!!

次のバスの発車時間は午後5時。座席指定劵を無料で替えてもらい、

(しかもこの駅員、こちらから言い出さなかったらそれもしてくれる様子がなかった)

バスで1時間、着いた駅で30分の待ち合わせ、列車に乗って1時間30分。

ロンダの駅に降り立ったのは午後8時。

耳元では「アルハプニングの思い出」という曲が流れていた。



「座蒲団一枚」って、誰か言ってくれるかなあ?

ギターの名曲「アルハンブラの思い出」

2017年6月18日(日)

グラナダといえば世界遺産の「アルハンブラ宮殿」、

アルハンブラ宮殿といえばギターの名曲「アルハンブラの思い出」。

ギターといえば呑ん兵の沢ちやん。

呑ん兵といえば、極めつけの平さん。

(あとのふたつは、読者サービス)

ことほど左様に宮殿とあの名曲はすぐ連想されるほど有名だ。

グラナダに来て宮殿を訪れなくて、どこへ行く。

宮殿を目にした後、ネットであの名曲を聴かなくて何を聴く。

行ってきました宮殿。3時間かけてゆっくり見てまわりました。

中の様子は写真を掲載してアップする予定の「回顧編」で紹介します。

後2~3ヵ月お待ちください。

ただし、ガイド本で必ず写真が載る、一番有名なライオンの中庭には

入場制限があった為入れませんでしたので期待しないでください。

ほかの庭でも建物でも見る価値は十分あり、満足感一杯の見学でした。

そして夜、ホテルの部屋で名曲をしみじみ鑑賞しました。


サリンジャー、「オリーブ畑でつかまえて」

2017年6月17日(土)

風車の村、クリプタナは列車が着いたサンフアン駅から8キロ。

ガイド本ではタクシーで移動するとしか書いていない。

昨日着いた時、駅員さんにほかに行き方はないかと確認した。

バスは無し、列車はあるが4時間掛かるということだった。

ガイド本の言う通り移動はタクシーしかない。

今朝ホテルのレストランで朝食を食べたあと、タクシーを呼んでくれと頼んだ。

ホテルオーナーのおじさんが電話してくれたが、ダメだったらしい。

身振りで自分が送るというので、お言葉に甘えることにした。

乗せてくれた車はやせロバのロシナンテではなくサラブレッド、ベンツのセダン。

5分も走らないうちにこの村の小さな駅に着いた。

おじさん、おじさん、ここから乗ったら4時間かかってしまう。

行きたいのは8キロ離れたサンフアン駅だよ!

おじさん、しまったという顔をしてサラブレッドをUターン。

自分のホテルに戻り入口に鍵をかけ、競争馬に鞭打って100キロの猛スピードで走る。

おかげで発車15分前に駅に着いた。

グラシイヤスと礼を言って、お金を渡そうとしたが、受けとってもらえなかった。

親切なドンキホーテ。


前ぶりがながかったが記事の本題に移ろう。

サンフアン駅から途中のグアデクス駅まで3時間。この駅で待ち合わせすること3時間。

さらにグラナダまで1時間半と、ほぼ1日かけて移動する鉄道旅が今日の予定だ。

列車に乗って最初の1時間は登り。周りの風景は原生林や岩山だったが、

登りきってなだらかな高原地帯に入るとオリーブ畑が見えてきた。

線路に近い平地に整然と植えられたオリーブの列が並び、起伏のある丘にも、

さらに遠い小山の麓にも、見渡す限りオリーブ、オリーブ、オリーブ畑。

日本の農家がこんな山奥の斜面にも棚田を作って、稲を栽培するのと同じ発想で、オリーブ畑が作られている。

しかもこの風景、グアデクスに着く2時間の間ずっと続いた。

日本でいうなら、仙台駅を出発した新幹線が青森駅に到着するまでの約350キロ、

車窓から見えるのはオリーブ畑しかないということになる。

生産地はたしか地中海沿岸のイタリアとかギリシャといった年中温暖な地方だと思っていた。

日本にしても瀬戸内海に囲まれた温暖な島、小豆島がオリーブでは有名なはずだ。

気になったのでネットで調べてみた。

世界の生産高のうちの30%、年間1100万トン生産している。

第2位のイタリアが590万トン、3位のギリシャが400万トンと二つの国を合わせてもまだスペインには敵わない。

段トツの世界一だ。

消費量は、イタリアが第1位で800万トン、スペインとギリシャが同じ340万トン。

イタリアは自国の生産では足りずに輸入し、スペインでは余った分を輸出している。

さらに調べた。

受粉して花を咲かせるのが春夏の時期。

青い実がなり茶色く成熟し、収穫するのは秋になる。

いま見えるオリーブの木には花も咲いていないし、実もなっていない。

耐用年数は10年。

耕されたばかりの茶色の畑、高さ50センチばかりの幼木の畑、

子ども、青年、壮年、老年の木と様々な世代の畑があるのもうなずける。


グアデクスからのグラナダまでの1時間半も同じ風景で、

これはもう青森を突き抜けて札幌まで来てしまった。



最後にスペイン人のカフェでの朝食のひとこまを再現して、

「オリーブ畑でつかまえて」の記事を終わりにします。

縦に半分に切られたパンをカリカリに焼き、細長いお皿状にしてふたつ並べる。

ひとつのお皿パンにまずオリーブオイルをたっぷりとかける。

こげ茶色したパンが、薄緑に変わり光りをはじく。

スライスしたトマトをパンの上に載せる。

生のニンニクをナイフで小さく刻みながら、トマトの上にまぶす。

残しておいたもうひとつのお皿パンをかぶせる。

一体になった細長いパンにナイフを入れ、半分にする。

断面側から一口がぶり。

うっ?オリーブオイル足りない。

オイルを断面に注ぎたす。

20センチほどの高さがあるオイル瓶がここまでで三分の一くらいにまで減ってしまった。