アトラス山脈を越えて

2017年6月28日(水)

モロッコはアフリカ大陸の中では小国に過ぎない。

国土面積は日本の1.2倍、人口は四分の一の3200万人。

北は大西洋に面し肥沃な平野があり、南の国境近くには広大な砂漠が広がつている。

ふたつの間にドカンと大きな塊で立ち塞がっているのが、アトラス山脈だ。

平野部にあるマラケシユから山脈を越えて乾燥地帯のワルザザートへ

最初は、オリーブ畑、野菜畑、民家、

隣は赤茶けた荒れ野なのに緑の芝生を敷きつめたゴルフ場もあったりする。

まっすぐな一本道が、両側に広がる砂漠を切りさいてどこまでも続いている。

やがて岩山の坂道を上ると、その先には幾層にもたちはだかる山々が待ちかまえていた。

木々の緑がまぶしい山もあれば、横縞の層がはっきりした岩山だったり、

これでもか、これでもかと山の間を縫うようにバスは走る。

こんな山深い所に人が住む集落がと見れば、山に向かって段々畑がつくられ、

その下に周りの岩山と同じ色をしたカメレオンのような日干レンガの家々が見えた。

バスに揺られること5時間、うち1時間は砂漠、3時間以上はアトラス越えの山道だった。

1920年代にフランス軍がサハラ砂漠の最前線基地として建設したワルザザートへは午後4時に着いた。




コブラにふんだくられ、スークで迷う

2017年6月27日(火)

早朝5時まで本を読んでいたので昼前の11時までぐずぐずと寝ていた。

昨夜買っておいたバナナ二本と桃一個で朝食を済ませた。二日続けて同じメニューだ。

起きて洗濯するのも昨日と一緒。

ホテルのWiFiがつながらないので、バスでスタバへ行く。

アイスカフエラテで3時間ねばる。

お陰でブログをだいぶアップできた。

帰りのバスの番号を間違えたのに気付き、あわてて途中で降りフナ広場まで30分歩く。

広場でコブラの芸を写真で撮っていたら、強引に引きづりこまれた。

How much?

After,after!

小さな蛇を手に取らされ、コブラの大きな顔を前景にした写真を撮られた。

ビデオも撮り!

終わってから、How much?

600DH!(60ユーロ)

べらぼうな値段だ。300DH!

ノーノー、俺らたちはグループだ、ほら見ろ!

確かに蛇使いたちはかたまつて7,8人はいる。

足元にはお金欲しいようといった顔をした蛇たちが四五匹とぐろを巻いて待機している。

400DH!!これ以上はアイ キヤナツト ペイ!

これが最大に値切りできた料金なのか、まだ高いのか分からないが、

ともかく、ボラレた感はぬぐえない。

これは、

1)
NGT48のお気に入りの娘と握手するのにCDを二枚も買って並んだのに、

実際に握手する段になったら笑顔も見せず、しかも間近で見ると意外とブスだった。

2)
新潟の古町通り、キャバクラの可愛いおねえさんに声をかけられ、料金も聞かないままについ店に入ってしまった。

楽しい時間を過ごし、請求書を見たらなん2万円。持ち合わせは1万円しかないからとまけてもらい、

すごすごと店を出た。


どちらの例えもこのボラレた感とは違うような気がするが、、、、。




マラケシユのフナ広場の後ろにスークと呼ぶ様々な専門市場がある。

地球の歩き方には入りこんだら、必ず迷うことになる迷路の連続だが、

それも楽しみましよう、と書いてあった。

しっかり迷いました。

まず広場からすぐ近くにあるはずの、スークのメイン通りに入るスマリン門にたどり着かない。

様子を見て気づいたのか、変なおじさんが近づいてきて門まで案内してくれた。

安い店をあれこれ案内できると誘われたが、当然無視。

枝別れした迷路を歩き、染色のスーク、真鍮のスーク、じゅうたんのスーク、

そこらへんはなんとか見つけたが、鍛冶屋のスークが見つからない。

近くにいたにいちゃんに路を聞いたら、あっちこっちと迷路を曲がって案内してくれた。

でもあいにく店は全て閉まっていた。

ここまで来ればマラケシユ博物館は近いので、サンキューと言って歩き始めたら、

後ろから「チップ、チップ」と声がした。

数十歩案内されてチップを払っていたら、小銭がいくらあっても足りない。

ここも無視。

スークをまっすぐ北に抜けた広場前、メディナの中で最大のモスクの隣に博物館はある。

モスクは閉まっていたが、博物館は閉館まで30分あった。

日本の江戸時代末期に建てられた宮殿で、モロッコがフランスから独立した1956年からは

女学校としてつかわれていた。

博物館に入り、まず目を奪われのがパティオ(中庭)。

モザイク模様に装飾を施された壁と柱が囲むパティオの空間。静かに民族音楽を流していた。

ここで往時の宮庭貴族たちは何をしていたのだろう?

こんな立派なパティオの中で女子学生たちは遊んでいたのか?

博物館から出ると、気温も一、二度下がり始め、うっすらと空に赤みが見え始めた。


ビールを飲む時間が近づいてきた。

バスに乗って新市街にあるCaffe Atlas宮殿に向かう。

前二晩にたのんだボリュームのあるツナ入りサラダから、今夜は野菜だけのサラダに変更。

モロッコビールの小瓶三本はオーダーに変更なし。

この喉ごしをイスラム教徒は一生味わえないとは可哀想な気がするが、

一方イスラム教徒にすれば、酒に酔いしれてアラーに仕える幸せを知らない日本人を

可哀想と思っているのかもしれない。



マラケシユ最後の夜、フナ広場の屋台も最後。

ツナが入る分を残しておいた胃袋に、牛とラムと羊をミックスした煮込みを食べた。

トロトロになるまで煮込んであり、柔らかくて口に入れたらすぐ溶けた。

フナ広場の喧騒、深夜の読書

2017年6月26日(月)

日中は40度を越えているマラケシユ、外へ出るのはつらい。

朝8時、フナ広場まで歩いて25分、ジューススタンドでオレンジジュースを飲んで

バナナ二本と桃1個を買ってホテルに戻る。朝の散歩1時間。

朝食をこれとミネラルウォーターで済ませ、洗濯。

シャワーをしたり、本を読んで過ごす。

午後に活動を開始し、バスでAtlasへ。WiFiがしっかりつながるのでここでニ時間。

ウイスキーを買おうと近くを探すが、新市街の店は何処も開いていない。

通りのホテルのドアボーイに近くににスーパーがないか聞いたら、

すぐ近くにモールはあるが今日は開いていない。

Why?

ラマダン開けの休日だからだそうだ。

どおりで開いているのは、マクドナルド、ケンタッキー、スタバなど観光客の店か、小さな雑貨屋だけ。

仕方なく近くのスタバでアイスカフエラテを飲みながら二時間。スマホをいじって夕方を待つ。

日が暮れたフナ広場へ入ると溢れんばかりの人でごった返していた。

屋台と屋台の間を人をかき分け進む。肉を焼く煙が充満して先が見通せない。


何の部位か分からない肉がぶら下がっている。

西欧人、韓国人、アラブ人、中国人、(なぜか日本人は見当たらないが)世界中からフナ広場に集まっている。

客寄せの声や客たちの話声、広場の向こうから聞こえる音楽で渦巻く喧騒。

これが世界遺産の所以だろうか。

アルコールは出ないし、お腹も空いていない。素通りして、ホテルに戻った。

寝酒がないので、寝むくなるまで本を読む。

中嶋博行の長編リーガルミステリー「違法弁護」を朝の5時まで読みきった。







マラケシユの神様ATLAS

2017年6月25日(日)

前々回の記事で漢字を間違えて表記しました。

「治外法圏」ではなく、「治外法権」です。

訂正してお詫びいたします。


さて、モロッコに来た目的は二つ。世界遺産のジヤマエル フナ広場を肌で感じることと、

サハラ砂漠の夕陽と満天の星を身に浴びること。

カサブランカから列車に乗って3時間、マラケシユの駅に降り立った。

タクシーでホテル近くまで行き、車が入れない路を10分ほど歩いてホテル前に着いた。

ここもホテルの看板がかかっていない。呼鈴を押し、ドアを叩くが応答がない。

24時間対応のスタッフ常駐のはずだが、、、。

5分ほど待って呼鈴を押し続けたら、ようやく主らしき青年が顔を出した。

ごめん、寝てたんで、、、。

この暑さだ。それも仕方ない。

部屋の準備ができてないので、10分待ってくれ。
もう3時だというのに、やってないの?

この暑さだ、まあ許してあげよう。

20分待たされて案内された部屋は二階にあり、部屋数は二つだけ。

その内の一つ、シングルベッドで、シャワーとトイレは直角に隣接した所にある。

予約した部屋は専用のシャワールーム付きのはずだがとクレームをつけたら、

ここはあなた専用であちらのお客は使いません。

さらに、シングルベッドの部屋のドアとシャワー室のドアを斜めに結んでカーテンが引けるようになっていて、

カーテンの内側をドアtoドアで移動しても、一応外からは見えない。

いつものルーティーンでシャワーを浴び、洗濯を済ます。

午後5時、ホテルを出てジヤマエル フナ広場へ向かった。

Booking.comのホテル案内ではフナ広場まで600メートルとあったが、

高い城壁沿いに歩いて、さらに壁の内側を戻るように歩くとようやく広場に着く。

要した時間は25分、600メートルのはずはない。

つまり、5メートルの城壁を乗り越えて、直線に歩ければ600メートルということか?


スタッフ常駐、専用シャワー付き、広場まで600メートル、

さらに、初日につながったWiFiは翌日から全くつながらなくなった。

看板に全て偽り有り。一泊1600円の安さを差し引いても、騙された気分だ。


午後5時、広いフナ広場の前で全体を眺めると、ジューススタンドは軒並みオープンしているが、

料理屋台は盛んにテントをこしらえている最中で、

広場の空きスペースにも大道芸人の姿は見えない。

まだ時間が早いからだろう。


今日はラマダン最後の日。これだけ海外からの観光客が来ているから、

広場の中のレストランでビールを飲めるはずだ。

入口にいたドアボーイに、中でビールを飲めるか聞いてみた。

この地区ではラマダンに限らず一切アルコールは出さないということだつた。

飲めるのは新市街しかないと教えてもらう。

広場の外に待機していたタクシーの運ちゃんに、新市街でビールの飲める店と頼んだら、

5分ほど走った場所にある「Coffee Atlas」まで連れて行ってくれた。

ビールの小瓶240円、ツナと野菜のミックスサラダ420円。

カサブランカのハイアットホテルの四分の一。

マラケシユの神様、Atlas。

今日を含めて三日間、毎日礼拝に訪れた。

男はつらいよモロッコ旅情

2017年6月24日(土)

寅さんがぶらりとモロッコはカサブランカにやって来た。

いつものジャケットに太めのズボン、水色のだぼシャツにベージュの腹巻きスタイルは、

さすが海外では着ないらしい。

紺のポロシャツに緑色の短パン、黒いキャップをかぶって、

重そうなリュックを背負っている姿はとても寅さんには見えない。

唯一寅さんらしいのはスニーカーではなく鼻緒の雪駄を履いていることか。

底が厚くて布地の鼻緒が、足指が擦れず歩き易いらしい。

カサブランカの迷路、メディナを闊歩する。

タンジエのメディナと違って狭い道はないが、露店がひしめいて、歩く人の数もはんぱなく多い。

広くなった路にさしかかると高層ビルの頭が見えるので迷うこともない。

1時間ほど歩いて新市街に出た。


葛飾柴又の帝釈天を懐かしんでか、次にハツサン2世モスクを訪ねた。

モロッコ最大のモスク。大西洋に面して建てられていて、

その敷地の広さ、そのミナレツトの壮大さは帝釈天は及ぶべくもない。

全敷地に8万人、内部に2万5000人が収容可能というから

その広さがどれほどのものか写真を見なくても想像できる。

これにはさすがの寅さんも、驚き、桃の木、山椒の木。

いつもは見学できるモスクもラマダンの時期は内部に入れないらしい。

残念至極の八百屋のお七。

市街に戻り庶民の台所、中央市場を覗いたが、

時間が早い(午後4時)ためかほとんど開いていなかった。

早まったか、松の廊下で浅野の匠。

ホテルに一旦戻りシャワーを浴びてから、トラムに乗ってハイアットへ向かう。

レストランに入ると同時くらいに、さくらの子ども、そーたからライン電話がはいる。

寅さんにとっては一週間に一度の楽しみ、そーたは孫のように可愛いくて、

そーたも寅さんのことをじーちやんと呼んでいる。


そーたの妹のアンも顔を出すが、話す言葉はまだ意味不明だ。

15分もしゃべって寅さん、大機嫌。

ステーキにボトルのワインを空けちやった。

生茹での石川五右衛門、赤い顔。



おいおい、寅さん。

寅さんの相場は場末の食堂でおでんに冷酒でしよ。



てあんでえ、

そこの汚ねえした顔したおにいさん、数十年まえのお嬢さんたち、

モロッコまで来て、

それをいっちやあ、おしめいよ。





カサブランカのビール

2017年6月23日(金)

人口400万人の大都市、カサブランカに着いた。

最大の感心事は、この40度近い暑さの街でビールにありつけるかどうかだ。

タンジエから5時間の列車旅。カサブランカの駅には午後3時に到着。

駅前から中心市街地に向けて四両編成のトラムが走っているが、

ホテルは歩いて5分。チユツクイン後にすぐシャワー、続いて洗濯。

暑さを避けるため部屋で待機、午後7時にホテルを出た。

トラムの停留所前にあるチケットの販売機で回数券を買って、待つことしばし。なかなか来ない。

停留所で路線図を眺めていたら、外から青年が近づいてきた。

トラムはオフタイムに入っていて後1時間は来ませんよ、と教えてくれた。

仕方なく歩いて行くことにした。午後7時30分。

目的地の国連広場までは停留所は六っ、距離にしても2キロほどだ。

トラム専用の2軌道と車専用の2車線の大きな通りを歩く。

通りには歩いている人がほとんどおらず、商店のシヤッターも閉まっている。

薄暗い通りにいるのは露店の品物を並べたままで夕食を取っている連中だけ、

獲物に喰らいついているゾンビの群れが通りを占拠している。

まるでゴーストタウンを歩いているようだ。

40分歩いて目指す広場に着いたら、まばらに人も増えてきた。

五つ星ホテル、ハイアットリージェンシーホテルのレストランに入る。

外から見たら客たちがビールやワインを飲んでいるのが見えたので、

ここなら大丈夫ビールが飲める。

アスパラガスのサラダに白身魚のムニエルでローカルビールを一気飲み。

うおっっ、woo!!2日ぶりのビールに喉が雄叫びをあげた。

ここはラマダンの治外法権、ラマダンは入って来られない。

しかも五つ星だけあって、WiFiの電波が強力、さくさくつながる。

食事の後でブログの記事を書いたりして、1時間半もここにいた。

レストランを出たのが10時、広場には信じられないほどの人であふれかえっていた。

帰りのトラムも満員、時間帯の過ごし方が日本とは全然違う。



カサブランカ、カサブランカ、、、うん、うん、、

ー ー ー ー ー ー ー ー

名画「カサブランカ」でイングリッド バーグマン、愁いに満ちた顔で

「昨夜のラマダンはどうしていたの?」

ハンフリー ボガード、白いスーツに蝶ネクタイ、にひる虫を噛みつぶしたような表情で、

「そんな遠い昔のことは覚えていない」



「明日のラマダンはどうするの?」

「そんな先のことは分からない」

しばらく間があったが、苦笑いしながら

「きっとまた同じ所にいるよ」

 --   FIN  --









ガイドのヨセフと迷路を歩く

2017年6月22日(木)

ガイドのヨセフとホテルを出た。

最初は二人で通ってもすれ違う人とは余裕の道幅だったが、

狭い小路に入ると、人ひとりすれ違うのがやっとだ。

いくつか路を曲がると、もう方向感覚がなくなり、ホテルがどちらの方向なのか分からないし、

来た路を帰れる自信はまったくなくなっている。

ここはメディナの中なのだが、さらに古いメディナへのゲートから中に入る。

最初に行ったのは市場。地球の歩き方には紹介されていない。

トン足に豚の頭、野菜に魚、マグロの解体ショー、ミントもオリーブの実も種類が多い。

地球の歩き方にメディナの地図として掲載されているのは出入り口とメインの通りだけ、

細かい迷路は書ききれない。白地、空白。

樹齢500年以上の大木、名前を言われても分からない。

120年続いているパン屋さん。

機織りで実演している衣料品店の若い店長のTaha。

漢字で書くとこうなるよと教えてあげた。

田羽:ricefield wing

他派:another party

多歯:many teeth


日本人客が来たら、マイネーム イズ タハ、とか言って、この字を見せることになるのかな?


イスラム世界では今ラマダンの最中で、今日は27日め。あと三日続く。

イスラム教徒のヨセフもラマダンを守っている最中だ。

ラマダンは神がイスラム教徒に遣わしたお医者様のようなもので、

そのお陰で心身ともに健康でいられるとのこと。

日の入りから日没まで飲食、喫煙はダメ。

1ヵ月の期間中はセックスとアルコールは禁止。

特に人の噂話と悪口を言うことは、最も禁止されている。

大見栄をきって言わせてもらえば、

セックスは1ヵ月でも10年でもラマダンの戒律を守ることができる。。

喫煙を1年以上続けたことがある。(今は喫ってるけど)

人の噂話や悪口はもともと嫌い。

だがお酒に関しては、ラマダンには参加できそうにない。

ここタンジエでは店からアルコールは買えないし、出すレストランもないと言う。

日中に外国人向けに料理を出すレストランへ連れて行ってもらう。

一応、ビールはあるかと聞いてみたが、返事はノーだつた。

まず、前菜としてパステイラ。

鳩肉をタマネギ、アーモンド、スパイスと炒め、パイ皮で包んでやいたもの。

ハリラという黄土色したスープと一緒に出て来た。

メインは鶏肉と野菜を煮込んだタジン鍋。

ミントティーもすっきりした味で料理にあう。

デザートはスイカとウリ。


レストランを出て、ホテルまでヨセフに送ってもらい彼とはそこでサヨナラ。

ありがとう、10ユーロの価値はあつた。

夜もだいぶ更けた10時過ぎ、近くのレストランでイワシ料理と野菜サラダを食べた。

回りの客は食べて飲んで煙草を吸っていたが、みんなアルコールは飲んでいない。


旅に出て初めてビールを口にしなかった。

ラマダーン、ヤダーン!








海峡でイミグレ、グランタクシーに乗る

2017年6月23日(木)

アルヘシラスのフェリー乗り場からフェリーに乗りこんだ。

船内には入れるが、キャビンにはまだ入れない。

キャビン前の廊下に並んでいる乗客。

フェリーが岸を離れて15分ほど経ってからモロッコのイミグレが始まった。

地上と違い、パスポートを光学的に読み取る機械がないので時間がかかる。

1時間の乗船時間で、イミグレに30分もかかってしまったが、

ジブラルタル海峡のまん中あたりでモロッコに入国した。

ガイド本には、新タンジエ港に着くと、

48キロ離れた市街地にある旧タンジエ港まで無料のバスが出ているので、

それに乗ること、とあった。

小さなバスに乗りこんで、1時間近く走るだろうと思ったら、5分で全員降ろされた。

新しくできた駅のようだ。

市街までを結ぶ公共の交通機関ができたのかと思ったが、そうではなかつた。

BUSとTAXIの表示板があるので、移動手段はこのふたつしかないことが分かる。

ガイド本の情報から変わっているので「i」のスタンドで聞いた。

バス料金は1ユーロ、バス停はこの建物を出て歩いて10分の国道沿いにあり、2時間に1本運行。

なんでバスはこの駅まで来ないのだろう?

乗客がいっぱい待っているのは分かつているのに、、、。

タクシーは建物を出て2分の所に乗り場があり、料金は20ユーロ。

そして最後に、モロッコのお金は持っていますか、と確認された。

説明はヨーロッパからのツーリストが多いので、分かりやすいようにユーロでしてくれたが、

バスでもタクシーでも現地通貨で払わなければならない。

ATMの場所を教えてもらい、現地通貨を引き出してからバス停に向かう。

国道に出てすぐ、目の前を2時間に1本のバスが無情にも通過していつた。

ああ~、2時間が行ってしまう、、、、。

3分ほど歩いてバス停に着いたが、バス待ちは当然ひとりだけ。

しばらくしたら、スーツケースを引きながら国道を上がって来る3人。

おばあちやんと中年の女性、10歳くらいの女の子の三人づれ。

今度は4人で2時間近く待つことになるのか。

待つこと10分、バス停の前にバンタイプのタクシーが止まった。


料金を聞いたら、200ディルハム(20ユーロ)。(i)で聞いた料金と同じだ。

バスで行けば着いたバス停からまたタクシーに乗ることになる、

これに乗ればホテルまで直行できる。

隣で待っていた中年の女性に英語で、タクシーに一緒に乗って料金をシェアしないか聞いてみた。

バスはまだ2時間は来ませんよ。

英語を話せる人だつたので、分かつてもらい一緒に市街地までタクシーで向かう。

親子3代で旅行しているらしい。お国はポーランド。

9月にはポーランドのクラクフへ行き、そこからアウシユビッツを見に行くつもりだ、と言ったら、

自分たちはそのクラクフからやってきて、

スペインを旅行してからモロッコの親戚の家へ行くと話してくれた。

タクシーで40分走り、市街地の街角でRay次郎が先に降ろされた。


ここから先、ホテルのある地区はメディナ(旧市街)だから車は入れないらしい。

ポーランド三代とはここでお別れ、メディナに入る狭い坂道を歩き始めた。

歩き始めてすぐおっちゃんに声をかけられた。
(英語で) ホテルは何処ですか?

どこどこと言うと、案内すると言う。
怪しいとは思ったが、

探す手間が省けると思い、ついて行った。

道みち勝手にしやべる話を聞いてみると、やっぱり外国人相手のガイドだった。

結局二時間100DH(10ユーロ)でガイドを頼むことになったが、これは大正解だった。

その話は次回また。

アルヘシラスのフエリア

2017年6月21日(水)

ヨーロッパとアフリカ大陸を隔てるジブラルタル海峡。

アルヘシラスは北アフリカのモロッコへ渡るフェリー港があり、旅人たちが集まるが、

観光と呼べる場所はなく、ただ単に通過するだけの町だ。

ホテルはフェリー乗り場から歩いて5分、この上なく便利な場所にある。

フロントでスーパーの場所を聞いた。

3軒隣がそうだというが、閉まっていると言う。

今日は特別な日なのでほとんどの店やレストランが開いていないから、

フエリアに行けば良いよ、とフロントのお兄さん。

それ、何?と聞くと、お祭みたいなもんだと言う。

歩いて行くには遠いらしいので、ホテル前からタクシーに乗る。

確かに歩くには遠かった。10分。



100メートル四方くらいの広場に、道幅20メートルぐらいの通りが碁盤の目のように五~六本通じている。

通りに面した場所は仮設のテントでこしらえたレストランが軒を連ねて並んでいる。

レストランと言うより、デスコクラブと呼ぶほうが近い。

中央に舞台、DJ風の男性が進行役、スピーカーから割れんばかりのダンスミュージック。

舞台の前は広く空いていて、ダンスフロアーになっている。

そこに全員ではないが、フラメンコの衣装で着飾った女性たちが踊っていた。

なぜか中年以上、いやお婆さんがやたらと多い。

店の中では、老年のグループも若者のグループもお酒を飲み食事をしながら、

おしゃべりに余念がない。

通りの上には、神戸のルミナリエほどではないが、

幾何学模様のイルミネーションが繋がっている。

今は四時過ぎくらいで陽も高く、スペイン人の昼寝が終わったばかりの時間帯。

日が暮れる9時ころからは電飾が輝き、どっと人がくり出して来て、賑やかになるんだろうな。

舞台のない店がバルみたいに料理を並べていたので、現物の料理を指さしてビールもたのむ。

スペインの定番、パエリアと串焼一本。

パエリアは少し硬めのパサパサ飯に野菜と肉と魚介類を混ぜ込んだ、焼き飯。

ここから通りを見ていると、けっこう若い娘も歩いている。

膝上のショートなワンピース、胸を大きく開いて、手には原色の扇子、

頭の上に鶏のとさかのような飾りを着けている娘もいる。

バブル期のジユリアナ東京のお立ち台を思い出す。(実際に見たことないけど)

お婆さんたちが家路に帰るころになったら、こんな娘たちであふれるだろうな。

見てみたい気もあるが、想像するだけにしてホテルに帰った。



店の看板に書いてあったスペイン語「Faria 2017」、

英語にすると「Fair」?

電子辞書では、
原義は祝日。品評会;通例戸外、余興.屋台が出されお祭的雰囲気がある。

と書いてあつた。

最古の闘牛場

2017年6月20日(火)

ロンダには最古の闘牛場がある。

トレドでは、競技が終わった後の闘牛場を薄暮の中、写真だけ撮った。

もちろん、場内には足を入られなかった。

ロンダの闘牛場では観客席にも場内にも入れるし、

観客席の下の回廊は闘牛博物館になっていて、闘牛士の衣装を始め様々な資料を見ることができる。

模写だろうが、ピカソが描いた闘牛士の絵も展示してあった。



競技場に立ってみると、牛が入って来ると思われる入口が四方に見える。

円方形に囲んだ観客席からの興奮の声が、ここ一点に集中するだろうと、容易に推測できる。



競技場を後にして、ソコロ広場へ行く。
広場に面してある教会。

広場は夜になると、所狭しと屋外レストランがテーブルをならべる。

別々のレストランで二晩食事をとった。

タホ広場。入口にオーソン ウェルズとヘミングウェイの顔の像が対になってある。

ヘミングウェイは分かるが、オーソン ウェルズはスペインから移民して

アメリカの俳優になったのだろうか?

ここまでが新市街にある。境にあるヌエボ橋を渡って旧市街へ足を延ばす。

サンタ マリア ラ マヨール教会、その隣に建つ市庁舎。

いずれも古都ロンダの旧市街にふさわしい美しさだ。

さらに南に向かう坂道を下って行くと、外部からの侵入を防ぐ門がある。

橋から門までは歩いて15分ほどしかない。

旧市街がこじんまりと固まっていたことが分かる。

この街を訪れた目的はヌエボ橋と闘牛場を見ること。

ふたつを十分堪能したので、ほかの場所はまち歩きのついでみたいなものだった。