エジプト入国の長い一日

2017年7月16日(日)

深夜2時、エジプト.カイロ国際空港第3ターミナルに着いた。

エジプト入国にはビザが必要だが、アライバルビザ申請はいたって簡単だ。

税関の前にある銀行の窓口で25ユーロを払い、シールを購入する。

それをパスポートの空いているページに貼るだけでオーケー。

公共交通機関が運行している時間ではないので、空港ロビーで仮眠した。3時間ほど。

朝6時、空港の外に出た。来ました、来ました、タクシードライバーの群が、次々と。

料金はと聞くと、だいたいどのドライバーも150~200エジプトポンドだと言う。

ガイド本ではタクシーの相場は70ポンドと書いてある、2~3倍ではないか。

いい加減にししろ!エジプトのタクシー屋、そろいもそろってボリかます気か?

第3ターミナルから第1ターミナルまでシャトルバスが運行していて、その途中に市内行きのバスターミナルがある。

シャトルバスを待つがなかなか来ない。

これではシャトルではなく、長距離バス?
1時間半待たされた。

バスターミナルでも30分待たされた。

バス料金はガイド本に書いてあった料金の倍になつていた?

カイロの中心地広場から歩いて20分、予約していたジャマイカホテルに着く。

エレベーターはなく重いリュックを背負って三階のレセプションへ。

受付のあんちゃん、ハローでもなければ、ウェルカムでもなければ、

苦虫を噛みつぶした顔でスマイルもなし。

しゃべることは出来るらしく、誰かに電話した。

「マネージャー」と言って携帯を渡された。

英語の話せるマネージャーが出た。

12時までチェックイン出来ないので待って欲しい。

WiFiのパスワードを聞き、オーケー!

ここではWiFiが上手くつながらないから、荷物を預けて外に出た。

近くのマックでエッグマフィンとコーヒーで朝食をたべながら、ネットを開く。

エジプトポンドの為替相場を調べてみた。

ガイド本では1ポンド15円とあるが、今はなんと7円に急落している。

経済記事を見た。エジプトは昨年の11月に固定相場から変動相場制に移行した。

市場はそれと同時にエジプトの政状不安と観光の落ち込みを嫌気して、一気にポンドを投げ売した。

ポンドの価値は下がり、物価は2~3倍に跳ね上がった。


さっきのビザ申請料金はユーロで払ったのでガイド本に書いてある通りだったが、

タクシーもバス料金も今のエジプトの経済状況を反映したものだった。

カイロで8日後に予約してあるロータスホテルが近くにあるので行った。

案の定、空いていた。WiFiは切れることなく、エレベーターあり、専用バスあり、

中心広場まではジャマイカホテルより近い。

さっきのジャマイカをキャンセルしてロータスに移動した。

暑さと疲れと寝不足でダウン寸前、クーラーをガンガン効かせて昼寝をさせてもらった。

夕方起き、ガイド本にあった日本料理レストラン「おかし」へ行く。

揚げ出し豆腐、にぎり寿司、味噌汁でエジプト入国を祝い、独り乾杯。

こうしてエジプト入国の長い一日が終わった。

イスタンブールを一日観光

2017年7月15日(土)

朝8時に起き朝食をとり、9時にはホテルを後にした。

当初、ホテルにリュックを夕方まで預け、市内観光を終えた後、夜中の便でエジプトに飛ぶ予定だった。

万一ジユウタン屋に荷物を人質に取られると悪いので、地下鉄で一時間かけて空港へ行き、

荷物預け所に大きなリュックを預け、また市内に一時間かけて戻った。

今日7月15日はトルコにとって特別な日、1年前の今日、軍事クーデターが起きそして制圧された記念日だ。

走る車もホテルの窓にも公園にも至るところに国旗が掲揚されている。

地下鉄も今日はすべて無料。



ブルーモスク、アヤソフイヤ、トプカピ宮殿、グランバザール、ガラタ橋を休み休みゆっくり回った。

その辺は回顧編でまた。

夕方8時に空港へ行き、夜中0時発のカイロ便まで4時間、

ビジネスクラスのVIPルームでビールを飲み、ワインで食事を取った。

ウインブルドンの男子決勝のビデオが流れていて、全く退屈しなかった。

さすがフエデラー、見事に復活!


優し、恐ろしジユウタン屋

2017年7月14日(金)

昨夜の宿は空港の近くに取ったが、今日の宿は市内の中心部に予約してある。

近くの駅から地下鉄に乗って約1時間、今日の宿近く駅に降りる。

ブッキング.ドットコムで予約した宿はグーグルマップに登録されていて、

オフラインでもナビゲーションしてくれる。

歩いて宿探しする時、これまでずいぶんと助けられた。

今回は勝手が違い、どうしても見つからない。

後で分かつたことだが、ホテルを表示する赤いポイントが実際のホテルの場所とは違っていた。

これでは見つからない筈だ。

通りでキョロキョロしながら歩いていたら、ジユウタン屋のにいさんに声をかけられた。

ホテルを探しているが見つからないと言ったら、
店の中に引きいれられて、

そこでホテルに電話をかけてくれた。

すぐに分かつたらしく、案内してあげるよと言われた。

小さな親切はこんな時ありがたい。

日本人のお客にはいつもお世話になっているから、こんなことは当然だ。

ちょうど今遅い昼飯を取るところだから、一緒に食べないか。

ホテルに案内され、チェックインをすませまたジユウタン屋に戻った。

最近は中国人の旅行者が多いが彼らは口うるさいし、金にもうるさい。

日本人は静かで紳士ばかり、だからあなたにはご馳走したい。

用意されていたのは、トルコ料理のシシカバブーとサラダ。

店の地下にあるジユウタンの在庫部屋で座って食べた。

オーナーのブラクは30歳、独身。

四代続いた店で、アメリカのサンノゼ、ニユジーランドのウェリントンにも店を構えている。

弟のアリも加わってジユウタン講話が始まった。

ペルシャジユウタンは古いものほど価値があり、鑑定書をつけて売られている。

だから田舎の村を回って50年、80年、100年という骨董品のジユウタンを目利きして買ってくる。

モロッコ紙幣の価値は上下するが、ジユウタンは金と同じで安定している。

ジユウタンを買って子どもや孫に資産として相続する人もいる。

そこへブラクの従兄弟がやって来た。名前はハジ。

時々店の手伝いはするが雇われているわけではなく、妻か看護婦なので主夫をしているらしい。


夕方まで時間があるから、少しこの辺りを案内してあげるよ、とハジ。

一応断ったが、一時間くらいの散歩のつもりで行こうというので、また親切に甘えることにした。

グランバザールまでは歩いてすぐだった。

ブルーモスクも近くにあるが、今の時間は込んでいるし、

一番古いというモスクまで歩いた。礼拝の時間なので後30分は入れないらしい。

寺院の外にある展望通りから市内と金閣湾にかかるガラタ橋が見える。

ハジの身の上話。

前は土産物を売る店をやっていたが、不景気で賃料が払えなくなり、借金もかさんだ。

従兄弟のブラクが助けてくれて借金はなくなったが、今は妻の収入で暮らしいる。

子どもは娘が二人、高校生と中学生。まだまだ大変だね。

モスクを見てグランバザールを通り店に戻ったのは午後6時、2時間も案内してもらった。

部屋にはビールが準備されていた。気がきくなあ、渇いてた喉にごくごくと流し込む。

ブラクが実物を見せながらジユウタンの説明を始めた。

これは子羊の喉にある毛だけで出来たジユウタンで、ひとりの女性が8ヶ月かかって編んだ。

こっちはアラビアのデザインで80年前に作られたジユウタン。

デザインやら、年代物やら数種類のジユウタンの説明を受け、店で売る価格も教えてもらつた。

レイさんはどのデザインが好きですか?

このアラビア模様なんか良いですね、と畳半じようほどのジユウタンを指差した。

それプレゼントしますよ。

えっ、そんな高そうなジユウタンもらえませんよ。いったいいくらするのよ。

店では250万円で売っていますが、今日友達になったレイさんには150万円でプレゼントしますよ。

フェデエツクスの送状を持ってきて、日本の住所を書けと言う。

そんなお金はないからと、キッパリ断った。

それまでニコニコして、ジユウタンの説明をしたり、

下ネタの話をして自分で喜んでいたブラクが豹変した。


怒った表情でなじり始めた。友達だと思って色々してあげたのに、その態度はなんだ!

たしかにホテルを見つけて案内された、トルコ料理もいただきました、

市内見物もガイドしてもらい、ビールもいたたきました。

まんまと押し売りのルートに乗せられてしまった。


ここは揉めないように、

「今日かかった料金は払うから、明日またゆっくりジユウタンの話をしようよ」と諌めた。

「そうかい、じやあ1万円もらおうか。明日は10時に迎えにいくよ」

高い料理とガイドとビールになったが、揉めないうちに退散する方が賢明だ。

お金を払い、明日10時に待ってるよと言ってジユウタン屋を後にした。

ホテルを見つけてくれた小さな親切は良いが、それから続いた親切の波状攻撃は

どこかで断ち切るべきだった。


相手は押し売りのプロ、こっちも旅人のプロにならねば、、旅の教訓がまたひとつ増えた。

当然翌朝9時にはホテルを引き払った。




夜のイスタンブール

2017年7月13日(木)

カサブランカ・ムハンマド五世空港発15:30、トルコ国際空港には22時着。

イミグレを通過しバッグを受取り、タクシーで宿に着いたのは23時を過ぎていた。

明日以降二日間の日程でイスタンブールを駆け足で観光する。

みんなと別れて独り旅を再開

2017年7月12日(水)

カサブランカのホテルからフアイサルと二人で駅に向かう。

デニー親子とは同じホテルだったが、昨日の深夜に別れのハグはすませてある。

駅前のカフェで朝食をとりながらフアイサルと別れを惜しんだ。

レイチェルのパンティを胸の前で拡げているフアイサルの笑顔が、最後の記念写真だった。

フアイサルは空港に妹たちを出迎えに向かい、

Ray次郎は一人残されて予約していたホテルに向かった。

独り旅がここから又始まった。

早回しでカサブランカへ

2017年7月12日(火)

シヤウエンからカサブランカへ移動。

四人一緒の最後の夜。翌日からはめいめいのスケジュールで旅を続ける。

この記事をアップしている現在日とブログの掲載日がかなりかけ離れてきたので、

はしよって書くことにしました。

「私のパンティ返してよ!」と叫んだレイチェルと、

「返さないよー!」と応えたフアイサルとの二人の恋の結末はいつか回顧編でアップします。

Ray次郎の旅を早回しで掲載します。

ブルータウン、シヤウエン

2017年7月9日(日)

フエズからシヤウエンまでは200キロほどのドライブ。

山越えの九折の道をあいかわらずのスピードでぶっ飛ばすレイチェル。

何があったか知らないが、フアイサルとは口をきかず、どこか無視してる感じが伝わってくる。

シヤウエンは、盆地に向かってくだる山肌の斜面にへばりつくように建てられた町だ。

家々はブルーとホワイトに統一されて彩られている。

このメルヘンチックな雰囲気は言葉で表現するのは難しい。

2017年7月10日(月)

小さなシヤウエンの町を歩く。

小路から上っていく階段も真っ青、両側の壁も真っ青、立ち止まっては写真を撮る。

町を見下ろす丘に建つホテルのプールサイドで休憩。

ここはフアイサルの会社がよく利用するホテルらしい。

小さくまとまった町全体の景観も異世界のそれのようで、息をのむ美しさだ。

フアイサルとレイチェルは普通の現地人とツーリストの関係に戻ったようで、べたべたしなくなった。

明日はカサブランカへ400キロの旅。

そこで四人一緒の最後の夜を過ごし、翌日はめいめいのスケジュールに戻ることになる。

世界遺産、フエズの迷路を歩く

2017年7月8日(土)

イフレインからフエズまではそう遠くない。2時間ほどのドライブだが、

高原から下界に降りるとまたアラブ世界に戻り暑くなった。

あいかわらずレイチェルの運転は荒くて、スピードの出し過ぎだ。

フエズの町に入りダンプ(減速を促すコブ)でゴツンと車が跳ねた。

しばらく走ってまたゴツン。

「レイチェル、なんて運転するの!ゆっくり走りなさい!」とデニーが注意した。

早口でレイチェルが言い返したが、なんと言ったかは分からない。

フエズのホテルに着いたが、レイチェルは口もきかず目が吊り上って表情が怖くなっていた。

道中しゃべりずめのデニーもだまつてしまった。

薄々感じてはいたが、レイチェルは感情の起伏が激しい娘だ。

ついでに言うが、彼女の両の二の腕にはバラのタトウー、

右の手首にはラクダ、そこから肘にかけて月の満欠を表す図が6個のタトウーがで描かれていて、

鼻には牛のようにリングが填められている。


ホテルの部屋はドミトリー、共用のシャワー室でシャワーを浴びて出たら、

韓国の女子大生が入ってきた。

しばらく旅の話をしたが、ドミトリーに入ってきたイタリア人の若者に中断させられた。

話に割り込んで女の娘とばかり話しかけ、止まらない。


デニーたちはツインベッドに専用のシャワー室がある部屋だ。

フアイサルが予約した公認の観光ガイドがくる時間になったのでロビーに降りたら、

デニーたちもシャワーを浴びたらしく、すっきりした顔をして待っていた。

レイチェルの機嫌も直っているようだ。

韓国の女子学生も降りてきて、ホテルスタッフに町で声をかけられてお願いしたガイドについて話をしていた。

スタッフ、「それは公認のガイドじやないので、

警察に捕まっても自分の責任で対処して下さい」と注意をしていた。


そう言えば、フアイサルもこの町に入ってからは我々と一緒に歩かず、10メートル先で先導していた。

この町はエセガイドに厳しいのだろう。

公認ガイドがやってきて、英語と日本語で自己紹介。

英語、フランス語、日本語はモロッコの大学で学び、

さらに日本語はJAICAに応募し、島根大学でフランス語を二年間教えたそうだ。

フエズのメデナ(旧市街)は世界一広い迷路の町として世界遺産に登録されている。

東西2.2キロ、南北1.2キロ。

モロッコ最初のイスラム王朝の都がおかれたところで、

9世紀頃からここを城壁で囲みモスク(800ヵ所)や

マドラサ(イスラム神学校)を建てたのが始まりで、

その後ベルベル人やアラブ人が周辺国からやってきて住みつくようになった。

今はこの中に何万人の人が生活し、店や作業所も四千ヵ所以上ある。

そこはもうれっきとした都市だ。

メデナに入る入口は何ヵ所もあるが正式な門は1913年に建てられたブー.ジユルード門。

公認のガイドだけあって歴史やイスラム教について詳しい話をしてくれた。

一夫多妻を認めるイスラム教の戒律に言及したり、

算用数字の成り立ちについても説明してくれた。

迷路には陶器、真鍮細工品、衣服、スパイス、お菓子、革製品、お土産雑貨と何でも揃っている。

道幅が狭いのに、道先にこれでもかと製品を並べているので、歩きにくいことこの上ない。

迷路のデリバリーの主役はロバ。優しい顔をしてゆっくりと荷物を運んでいる。

ガイドが連れて行ってくれたレストランでクスクス料理を一人前たのみ三人でシェア。

それでも料理は残った。

最後に行った所は革製品のショップ。

三階のテラスに行くと、真下になめした革を染色する作業所が見えた。

タンネリと呼ばれる場所でメデナの中でも観光客が必ず立ち寄るところだ。

レイチェルはそれより革のジャケットのほうが気になるらしく、

あれを着たり、これを着たり、別のデザインや別の色のジャケットを持ってきてもらったりだが、

結局買わないで店を出た。

アーア。

4時間の迷路歩きが終わってホテルに戻ったのは午後4時。

デニーが疲れたからと言ってレイチェルと一緒に部屋に引き上げた。

その間にフアイサルの自宅を訪問しお母さんに会い、その後床屋さんで散髪をすませた。

夜は新市街のバーレストランで会食。

フアイサルとレイチェルはそれからどこかへ消えたが、

親年代のRay次郎とデニーはおとなしくホテルに帰った。

イフレインの夜、パンティが記念?

2017年7月8日(土)

朝4時、喉が渇いて目が覚めた。手元に水がなかったので、

隣のシングルルームに寝ているフアイサルの部屋のドアを開けた。

なっ、なんと二人いる。ひとりはフアイサル、もうひとりはレイチェル。

上半身だけが掛け布団から出ているので毛むくじやらなフアイサルの胸と、

小振りなレイチェルの胸がふたつ並んで見えた。

ボトルの水をもらって自分の部屋に戻った。

二度寝の後、朝8時に起きるとフアイサルも起きてきたが、レイチェルの姿はもうなかった。

ふたりで早くはないが早朝散歩、イフレインの町をぶらぶら歩く。

「フアイサル、昨日の夜レイチェルと一緒だったね。」

「そうだよ、結ばれちやったよ。こんなことや、あんなことしてね。」

フアイサル、そんな具体的なことは訊いてないよ!

「結ばれた」にしてもフアイサルの口から出たのは別な言葉だったのを変えた表現にしたのに、

「具体的」は尚のこと書けない。

これまで敬虔なモスリムと紹介してきたのに、少しずつ本来のキャラが出てきたようだ。

それにしてもツインベッドの部屋で一緒のはずのデニーはこの事を知っているのだろうか?

気づかないはずはないのに黙認か?


レイチェルはエチオピアに恋人がいるらしいが、彼からの干渉が激しくて、

このところ喧嘩ばかりしているらしい。

レイチェルがひとりで寝るのが淋しいと言って来たんだ。

デニーや離婚した父親の話、恋人の話を聞かされたよ。

記念に彼女のパンティをもらったよ、
フアイサルは最後にそう言って寝物語を終えた。

高原のスイス、イフレイン

2017年7月7日(金)

朝10時、四人の荷物を満載して小型車で出発した。

荒涼とした砂漠、禿げ山、貯水池、グランドキャニオンに似た渓谷、

柔らかい起伏の丘に広がる小麦畑にオリーブ畑、
その間に民家が点在している。

変化に富んだ景色の中を小型車は快適に走る。

というか、レイチェルはかなりのスピード狂で運転が荒っぽい。

猿山の観光地で猿たちと戯れた後フアイサルが運転を替わった。

なだらかな坂をいくつも上りきり、午後8時イフレインの町に着いた。

途中二回の休憩をはさんで10時間のドライブ。

砂漠色からいろんな色の景色の中を走って来たが、ここイフレインは緑色にかこまれていた。

砂漠では40度を越える暑さだったが、ここはかなり標高が高いらしく、長袖を着ないと寒い。

冬にはスキーリゾート地として賑わう町だ。

フアイサルが見つけてきたアパートホテルに入る。

ツインベッドの部屋が一部屋、シングルベッドの部屋が二部屋、キッチンとリビング、

シャワー室にトイレが備わったかなりの広さで、一泊7000円。一人当たり1750円、お得感がある。

近くのレストランでワインで夕食を取る。

フアイサルが駐車場やホテルを探し回っている間にデニーとビールを二本も先に飲んでいたので、

夕食のワインはボトル一本で終わった。

デニー、レイチェル、フアイサルたち三人は町へ繰り出して飲みなおすと言ったが、

こちらはホテルに戻りシャワーを浴びて寝ることにして別れた。

午後11時シングルベッドの部屋でご就寝。彼らが何時に帰ったのかは分からない。