青春の蹉跌

2017年6月2日(日)

「蹉跌.さてつ」

①つまずくこと ②失敗すること「ーをきたす」
:電子辞書版 広辞苑より

1968年に出版された『青春の蹉跌』、早稲田大学を中退した石川達三が上梓した小説。

その頃は学生運動が火を吹いていて、

どの大学の構内も角ばった文字でスローガンが書かれた立看板が所狭しと並んでいて、

ヘルメットをかぶり、手拭いで覆った顔は目しか見えない学生たちが、

隊列を組んでジグザグデモをする姿しか見えなかった。

そんな時代にこの小説は学生たちに読まれ、ベストセラーになった。

小説の主人公は大学生。体格、顔立ちは映画スター並み、

アメリカンフットボール部に所属しスポーツは万能、しかも成績優秀。

司法試験に合格し、さらに上昇志向を求めてやまぬ主人公に境遇が違う二人の女性が絡む。

話はアラン.ドロンの映画『太陽がいっぱい』と同じような結末を向かえて終わる。




さて話は『蹉跌』の話題に戻る。

ガイド兼フレンズ(いつからか格上げ)のフアイサルは、

熱心なイスラム教の信徒、すなわちムスリムだ。

お酒は飲まない、日に5度の礼拝は、自分の時間が取れる限り、

イスラムの白い衣装に着替えてお祈りを捧げる。

最初の晩、三階の相部屋につながっているデッキのテーブル。

こちらはウイスキーの水割り、フアイサルはただの水だけ。

ネットで音楽を聴いた。ベルベル人の砂漠の歌、フアイサルが好きだという小田和正やかぐや姫。

どこかRay次郎と通じる。


二晩めは、イスラム教についていろいろ教えてもらった。

5度の礼拝で何を祈るのか?

コーランには何が書いてある?

アラーは何故一夫多妻を認めるのか?

などなど、、、

いちいち日本語で答えてくれたが、やはり言葉が難しいらしく、

翌日イスラム教を特集した日本の雑誌を貸してくれた。


トドラ渓谷最後の夜。

彼は19才から28才までの10年間、静岡と東京で生活していたと語った。

まさにだれもが輝く青春時代だ。

彼の父親は早くに亡くなり、下の妹二人をアメリカに留学させるために働いたと言う。

そんな青春真っ盛りの時に、日本に来て大きな挫折を味わった。

それは、これまで三日間一緒に過ごして見てきた彼の陽気な顔からは、想像も出来ない体験談だった。

彼のプライバシーに関わることなので、詳しい話はできないが、

そのために彼は精神を病み、長い間その筋の専門治療を余儀なくされた。

その間にできたある人たちとの関係は一生絶ち切れない。

彼の挫折感はそれと同じように消えることはなく、

悲しみはなにかのきっかけで再び彼を襲うことになるだろう。


彼は容姿も悪くない。

サッカーが好きで膝を傷め、サポーターは欠かせない。

四カ国語をほぼ独学で修得したのだから、頭は良いに違いない。

『青春の蹉跌』の主人公と少しだぶる。


彼の夢は砂漠にダルクを作り、アル中やうつ病、自殺願望の人たちを集めて癒すことだ。

けっして小説の主人公のような悲惨な結末を向かえることはないだろう。


アメリカの国籍を得た妹たちが15年ぶりにモロッコへ帰省するのは、

Ray次郎との旅が終わってから4日後の7月11日だ。

家族揃っての写真がラインで送られて来るのは確実だ。楽しみにして待つことにしよう。

コメント

懐かしい

″青春の蹉跌″、懐かしいですね。太陽がいっぱい、砂の器、涙した名画を思い出しました。ファイサルのダルクが出来る頃には私のアル中が完璧に仕上がっているでしょうから入所予約です。

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