要塞が歴史を語る

2017年8月14日(月)

スオメンリンナの島を歩き始めた。

すぐ島のどこにいても目印になるだろうと思われる高い建物が現れる。

スメリンオンナ教会。形から推察するに、これはロシア正教の教会だ。

丸い小石をしきつめた石畳を赤レンガの塀沿いに10分ほど歩いていくと、

隣の島へ渡る白い橋の手前にビジターセンター兼スメリンオンナ博物館の現代的な建物がある。

博物館では島の歴史が展示物や写真、模型などで紹介されている。

中でも興味深く見せてもらったのがビデオ上映。

映像のナレーションは9つの言語から選べる。

ナレーション機器の説明と選択できる言語が国旗で写しだされる。

0 中国
1 フィンランド
2 スウェーデン
3 イギリス
4 日本
5 ソ連
6 ドイツ
7 フランス
8 スペイン

の順だった。
(なんで中国が最初にくるのか分からない)

要塞の島、スメリンオンナの歴史はそのままフィンランドの歴史でもあった。

フィンランドはまだ国の形をなしていなかった(部族の集まり)11世紀初頭に、

スウェーデン王国が派遣した北十字軍により制圧された。

それから約600年にわたってスウェーデン支配下にあったというから、

日本にあてはめれば、平安時代末期から江戸時代中期までの長きにわたる。

その間スウェーデン人の移住があり、

現代までスウェーデン系フィンランド人が人口の多く占めることになった。

ロシア帝国がフィンランドに触手をのばすことを防御するために、

1748年にスウェーデンはスメリンオンナに堅固な要塞を作った。

しかし、1808年ロシアがこの地を攻略し、

以後100年にわたりフィンランドはロシア帝国の支配下にあった。

シベリウスがフィンランデアを作曲したのは、ロシア革命で帝政が倒れ、

フィンランドが独立を勝ちとる1917年の20年前になる。

しかし、すぐ独立派(白衛軍)と親ロシア派(赤衛軍)に別れた内戦が始まり、

スメリンオンナは親ロシア派側捕虜の収用所としても使われた。

独立を勝ちとったフィンランドに、歴史は戦争をやめさせなかった。

第1次世界大戦と第2次世界大戦だ。

ここまの流れが博物館での記録映画。

要塞がスウェーデンの何王の時に、どれだけの費用をかけ、

どれだけの技術者や工人が働いていたのかや、当時の島の様子なども

イラストや絵などでも紹介されていたが、それは後から調べることができず、

後で調べられた歴史だけを書いた。

いずれの大戦でもフィンランドはドイツと連合を組んだため敗戦国になり、

ロシアに多額の賠償金を支払い、かっての日本がそうであったように、

フィンランドの国力は衰えた。

しかし、戦後は欧州連合に加盟。

福祉国家戦略を旗印に情報通勤産業に活路を見出して見事に立ち直った。

ちなみに2016年の一人あたりのGDPを見てみると、

1 ルクセンブルク
2 スイス
3 ノルウェー
、、
8 アメリカ
9 デンマーク
、、
12 スウェーデン
、、
、、
17 フィンランド
19 ドイツ
、、
22 日本
、、
73 中国

と北欧の4ヶ国は日本やドイツを抜いでいる。



日本から遠く離れてなじみが薄い国々だったが、

今回旅してみてその歴史の重みや、経済の実態を垣間見せてもらったような気がする。

博物館を後にして次の島にわたった記事は次回に、、、。

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