第2アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所

2017年9月15日(金)

アウシュビッツからビルケナウまではバスで数分。

見渡す限りという表現がぴったりする、広大な敷地に広がっている収容所だ。

Aの点線部で囲まれたところがアウシュビッツ、

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上部Bの点線部で囲まれたところがビルケナウ。



いわゆる「死の門」から、ビルケナウの中央に線路が走り、

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その左右に収容所の小屋があったが、右側のみ残っており、

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左側は残骸が残っているだけだ。

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囚人たちは有刺鉄線の内側に逃亡防止の濠を掘らされた。

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いくつかの収容所小屋を見学する。

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衛生棟。トイレとシャワー室が設備されている。

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アウシュビッツでは陶器の便器であったが、

ビルケナウではコンクリートに丸い穴を開けただけ、しかも間隔が極端に狭い。

1日に2回、決められた時間に囚人たちはここに並んで腰をおろし、用を足した。

その光景を想像するだけで唖然とする。

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ここでシャワーを浴びた。冬場はどれほど寒かったことか。

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収容小屋には木製の3段ベッドが並び、この小屋には400名が収容されていた。

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一応暖房設備はあったらしいが、

隙間風が吹き込んでくる安普請の部屋に、いかほどの効果があっただろう。

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引き込み線に、囚人たちを運んできた貨車が残っていた。

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駅に到着すると、

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囚人たちは、すぐに女性と子供の列と男性の列という二組に分けられた。

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まず医師が労働力となる健康な男性を選びだした。

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それ以外の病人、女性と子供、老人たちのほとんどはそのままガス室に送られた。

列車を降りた1000名のうちわずか300名だけが、強制収容所に送られたと言われている。

収容所に送られた者がいつまで生きていられたか?

過酷な労働、貧弱な食事、不衛生な環境の中で、

生き残ることは容易なことではなかった。


ナチスは終戦まじかになると、木造バラックを焼却しました。

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中央引き込み線から右側のバラックには暖房設備の残骸が残っているだけで、

木造部分は燃やされて残っていません。

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さらに証拠隠滅のために、ナチスはガス室や焼却炉を爆破しました。

殺戮した遺体を火葬する焼却炉

その残骸の前で説明をするガイドさん。

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この階段は死へと向かう階段だったのでしょうか?

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引き込み線の突き当りにあたる場所に、イスラエルの人が花を供えていました。

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同じ人間が、これほどまでに残酷になれるという現実を目の当たりにして、

言葉はありません。



コメント

No title

Ray次郎さんのブログに感動したり、旅をしたい衝動と闘い
ながら楽しんでいます。(写真が特にいいですね)
たしかモロッコ入国の時、ポーランド、クラクフ出身の
親子三代に会い、アウシュビッツへ行く話がありましたね。
アウシュビッツには本当に言葉がありません。
また、一人旅となりますが健康に留意され、無理をせず
旅を続けてください。



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