謹賀新年 気力と体力

謹賀新年 気力と体力

2017年1月7日(土) 


謹賀新年

あけましておめでとうございます

3ヵ月以上もブログを更新していないので、しばらくぶりに読まれた方は

ビックリしてるでしょうね。

Ray次郎は年金生活者で仕事はないように見えますが、

午前中は孫のSOTAを世話して、午後からはスポーツジム、夜は旅行の計画

この旅行の計画作りが大変な作業なのです。




昨年の春から計画をスタートさせていたのですが、

今年の4月から来年の3月まで1年をかけて世界を一周しようと思っています。


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気力と体力があるうちに、健康寿命に到達する前に、

行ったことのない世界の町を歩き、見たことのない自然に包まれて

異国の地に暮らしている人たちとふれあってみたいと強く思いました。


世界一周の旅 講座


亀田義塾という講座で「Ray次郎の世界一周の旅」と題して

講演する事になりましたのでお知らせします

日時:2018年6月10日(日) 午前10時~

場所:亀田コミュニテイーセンター

講座参加費:500円


回顧・さらば、スカンジナビア

2017年8月16日(水)

ヘルシンキのユースホステルを早朝4時40分に出た。

夜は完全に明けきっておらず、外はまだ暗い。

市内のトラムは5時が始発なので、まだ走っていない。

重いリュックを背負って中央駅にあるバスターミナルへ歩いて向かう。

5時30分に出る空港行のバスに間に合うかと思っていたが、

何度もトラムで行き来した道は意外に距離があり、

歩いていては時間に間に合いそうにない。

タクシーを探すがなかなか見つからない。

時間ギリギリでタクシーを捕まえ、ターミナルに向かったが、

バスは無情にも数秒前に出発していた。バスの背中が遠ざかって行く。

運転手にバスを追いかけ追い越して、次のバス停で捕まえてくれと頼んだ。

首尾よく次のバス停で空港行のバスに乗ることができた。


ヘルシンキ国際空港には予定通り6時に到着。

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イミグレを通過し、スカンジナビア航空SAS2701便でオスロ空港に向かう。

欧州全図

オスロには8時10分着、約1時間の待ち合わせの後、

9時15分のSAS4755便で2時間の空の旅、

ドイツのフランクフルト空港には11時20分に到着する。

これで約3週間滞在したスカンンジナビア半島とお別れだ。

明日はYさんを空港に出迎え、翌日から約1か月にわたるヨーロッパの旅が始まる。



それよりも何より新しいノートパソコンがやってくる。

これで写真を掲載したブログ記事をアップすることできる。



「回顧編」はようやく8月17日の本チャンのブログとつなぐことができた。

5月初旬の南米から始まった回顧編は、すべて2017年10月に帰国してから

記事をアップしてきましたが、

今回をもって私が自分自身に課した任務は終了です。




「正露丸放浪記」ブログはいつか管理会社によって消滅させられる運命にあります。

なので次に課せられた仕事は「正露丸放浪記」のブログ記事を

「オロナイン放浪記」へ移行する事です。

これは自分自身の思い出を記録として残すためです。



次回は「オロナイン放浪記」に引き継がれるまでの

「正露丸放浪記」のブログ記事を掲載します。





回顧・古都ポールヴオー

2017年8月15日(火)

ホステルの朝食を今日もたっぷりといただきました。

昨日とおなじメニュー、卵焼きもふたつ。



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正午、スメリンオンナの島からフェリーに乗ってまたヘルシンキに戻った。

宿は3日前と同じユーロホステルだ。ホステルの部屋に荷物を置いて、

市内中心にある中央バスターミナルまでトラムに乗った。

そこから長距離バスに乗り、古都ポールヴオーを目指す。

乗車時間は1時間30分だ。

フィンランドはさすがIT立国と言われるだけあって、

長距離バスの中でフリーWiFiを使える。

電源口も各シートの下か頭の上にある。

これはバスだけではなく、長距離列車から駅構内、デパート、レストラン、

本屋さんにいたるまでフリーWiFiを使える。


ポールヴオーの停留所に着き、まず観光マップをゲット。

まち歩きを開始する前に、

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ポールヴオー川に並んでいるカフェのひとつに寄って地ビールを飲む。

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ひとり旅は誰の制約も受けずに、自分ひとりの気分で行動できる。

昼からのビール飲みなどひとり旅ならではだ。

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同行する人がいれば会話もできるし、感動も分かちあえるが、

別行動を取らないかぎり、その人の意向を聞かなければ次の行動に移れない。

実は、その同行者1名がもうすぐ日本からヨーロッパにやって来て

合流することになっている。

さらに実は、、、、

オロナイン放浪記の前身のブログ『正露丸放浪記』の2月19日付け

『欧州クラブ発足』の記事、

『2名は8月中旬から9月中旬までの1か月、

さらに2名が9月初旬から中旬までの半月間、欧州の旅に加わることになった』

とあるように、最初に合流するのは男女各1名の2名の予定だった。

ところが男性の義弟が癌で急逝するという不幸があり、

合流時期が8月中旬ではなく9月初旬に変更になった。

結果、8月中旬合流は女性1名、9月初旬合流が男性1名女性2名になった。

それはさておいて、まだあと2日間はRay次郎はひとり旅。


銘柄を「独り気儘」と命名した地ビールを、ゆっくりと時間をかけて飲んだ。



中国語と日本語併記のマップを手に持ち、まち歩きを始める。

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マップには『珠玉のレストラン』、『魅力のショッピング』と、この町をアピールしているが、

Ray次郎には「食」にも「買い物」にも全く興味がないので、

マップで推奨されているルートにしたがって歩き始めた。



13世紀にスウェーデン国王が設立したフィンランドで

2番めに古い町を流れる川幅の狭いポールヴオー川、

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その川に沿って並ぶ木造家屋と、旧市街のパステルカラーの家並みが、

観光客を多く引き寄せるスポットだ。

赤く塗られた板壁は縦縞に張られた建物と横縞の建物があり、

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切妻の屋根は一様に黒く塗られている。

建物の入口が川に向かっているのは、

ここが、かって船から荷物の積み降ろしをした倉庫であることを物語っている。



旧市街は石畳の路の両側に、1階建のこじんまりした木造の家々が、

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パステルカラーの色とりどりに並んでいる。

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フィンランド最古の旧市庁舎の前を通り、


教会にたどりついた。

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小さな町なので歩き始めてから30分もたっていない。

鐘楼と教会が離れて建てられており、教会の中に入ると、

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正面のキリスト像がかかげられた祭壇で平服の牧師がひとり立ち、

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その前にこれも平服の男女が一組、両脇にその友達が4、5人ずつ並んでいた。

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結婚式の平服版か?

牧師が語る言葉にみんなが笑ったり、

言い返す花婿?の言葉にまたみんなが笑っていた。

なんかいい雰囲気でセレモニーらしきものが進んでいった。


教会から川にかかる橋を渡り、

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小高い丘に登ってみた。


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丘を降り、旧市街に戻り、石畳の路をあっちこっちと歩きまわり、


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最後に公園を通り抜けてバス停留所に戻った。

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ヘルシンキのバスターミナルに戻ったのは夜の7時、まだ日は暮れない。


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ターミナル近くのデパートに寄って、いつものように無料のトイレを借りる。

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ついでに店の一画にあったムーミンのコーナーをのぞいてみた。

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フィンランドの名前を一躍世界に知らしめたトーベ・ヤンソンの可愛いキャラクターたちだ。

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今夜は料理を作るのは面倒だし、食材が残るのも嫌なので、

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デパートでお寿司を買って帰る事にした。

トラムに乗ってホステルに向かう頃には日もすっかり落ちて、

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ヘルシンキ大聖堂も遠慮気味にライトアップされていた。

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ホステルに戻ったのは夜の9時、こうして北欧最後の一日を終えた。

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回顧・Sota Museo

2017年8月14日(月)

さて、博物館を後にしてふたつめの島にわたる。

50メートルほどの長さの潜水艦が海辺に停泊していた。

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潜水艦の前に『SOTAMUSEO』と掲示されていた。

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ガイドブックの地図には『潜水艦ヴッシコ号』と記載されている。

『MUSEO』は英語で博物館の意味の『Museum』であることは想像できる。

孫の名前と同じ『SOTA』って何だ?

潜水艦の入口でチケットを売っていたお姉ちゃんに聞いた。

フィンランド語で『SOTA』は英語では『WAR』の意味だそうだ。

正式には『戦争博物館』ということになる。

孫の名前がフィンランド語で「戦争」とは、、。

潜水艦の中は何人もはいれないほど狭い。おそらく乗員は3~5人がマックスだろう。

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ゆるやかな坂を上り砲台が設置されている丘に立つと、

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背後のヘルシンキの町を守るように砲筒が外海に向けられていた。

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しかし、先ほどの上映では砲弾の距離が、大挙してやってきたロシア艦隊には届かず、

逆に艦隊からの砲弾はやすやすとスメリンオンナの砲台に届いたため、

要塞が陥落してしまったと解説していた。

まるで今読んでいる『竜馬がゆく』の一場面とだぶる。

尊皇攘夷熱に沸騰していた長洲藩は、

下関沖を通過する外国船に砲弾を浴びせようとしたが、

一隻も撃沈することかなわず、逆に自陣の砲台をいとも簡単に攻撃された。

テクノロジーの先端を行く者がいつの世でも勝者になるのが時の常と言うことか。

この丘にも、今世界の観光地を席巻している中国人団体客が写真を撮っていた。

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この島には現在700名の住人がいるが、要塞を築いていた当時は、

スウェーデンから来た軍人、技術者が家族を伴って住み、

工人も含めると7000人の住人がいた。

とうぜん何百棟もの住居があつたし、

働く場所として工作機械工場、レンガ工場、造船所もあった。

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造船所のドッグは今でも現役で、木造船の修理や新造に使われている。

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フェリー船着場まで戻り、残るふたつの島にわたったが、

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これといった見るべき建物はなく、自転車がいっぱい置かれた3階建のアパートと

あとは周囲の丘に見張り台らしき石の遺跡があるだけだった。